巨樹たち

埼玉県東松山市「正法寺のイチョウ」

岩の上にも700年

 秩父市から出て、熊谷市「塩の大エノキ」を経た時点で15時過ぎ。
 東松山市で往生際悪く一か所だけ選んだお寺に到着した時には、夕陽すらとっくに姿を消し、青っぽい薄闇が迫っていました。
 ここは「正法寺」。「しょうぼうじ」と濁るらしく、検索してみると、意外にも同名のお寺は日本各地にある。
 特定のためには、「埼玉県東松山市の」と補足する、あるいは「巌殿山正法寺」という号、本尊が千手観音であることから「岩殿観音」でも通じるようです。

 現地に到着してみれば、裏手がすぐ山の立地で、確かに山寺の雰囲気。
 山門には運慶作という(本当に?)真っ赤な仁王像も構えている。

 石段を登る途中で振り向けば、まっすぐ伸びた参道と絵に描いたような門前町の眺望。
 ああ、なかなかいいなあ……。
 おっと、ISO感度今まさに猶予ナシ。急いで巨樹へ。

 見たかったのはイチョウです。
 2023年秋は宮城県「雨乞のイチョウ」、青森県「法量のイチョウ」をはじめ、5か所もイチョウ巨樹を訪ねましたが(「雨乞」には2回行って柚子も買った)、地方差、高低差、加えて特有の個体差が混じってぐちゃぐちゃになり、もはや黄葉で一喜一憂する気は起きなくなってました。
 でも大丈夫。岩殿観音・正法寺のイチョウには黄葉だけでなく、唯一無二、注目すべき個性で知られています。

 ……こう書いていると、どのような手順で紹介していくのが最善なのか迷ってしまうイチョウでもあるなあ、と。
 ま、いつものように。

 イチョウは本堂のすぐ隣といっていい立地で、背が高く、目が迷うことはない。
 青森のイチョウのモンスターぶりと比べると、納まりよいコンパクトさがある。
 かつて剪定の手が入ったか……そうでなくとも、有名な寺の真ん中にあるというこの立地自体、同様の役割を果たしたのでは。そう感じる立ち姿。

 ここまでだと「よくあるお寺のイチョウ」の範疇でしょう。
 しかし、距離を詰めて行くにしたがって、だんだんそこからはみ出していくのがこの巨樹だったりします……。

 どうでしょうか、この根の有様。
 いや、巨樹好きの巷ではよく知られているビジュアルのはずですが、それでも実物を目の当たりにすると衝撃の一言でした。
 青森勢と比べて迫力が足りないかのように書きましたが、訂正、いやはやこれはまた別種のモンスターだ……。
 あちらが野獣なら、こちらは海洋生物的なイメージ。さしずめベヒーモスとクラーケンの違いでしょうかね(ゲーム脳)。

 こんな状態になるには、もちろん相応の理由がある。
 一里塚をまるごと呑み込んでしまった「吹張の大槻木」の例を引くまでもなく、根の下に何らかの「下地」、バックアップ材が存在するわけです。
 このイチョウの場合、側面に回ればそれが何なのか、手に取るようにわかります。

 ……いや、むしろ岩手県「石割桜」のイチョウ版と言うのが適切でしたね。
 写真で紹介する難しさはここにあり、もちろんこの根姿こそクローズアップすべきですが、それだけでは岩上一点で背の高さを支える尋常ならざる力み、このイチョウ本来の文脈が理解できなくなる。そうは思いませんか。
 いやまあ、単に「出オチ」の三文字で片付けてもいいのかもしれないけど。だからSNSは嫌だ。

 ……私見はともかくとして。
 ここは緩やかな下り坂になっていて、本堂とレベルを合わせている石組の古さから考えるに、昔からごろっと大きな岩が露出していたのではないでしょうか。 
 「岩殿観音」の通称は、山を切り開いて造られた由来からでしょうが、これら大岩はまさにその看板代わりだったはず。

 ということは、このイチョウ、わざわざ巨岩の上を選んで植えられたということじゃないのか。
 なぜそんな試すようなマネを? こういう奇景の出現を、数百年も前に狙っていた人がいたのか?

 残念ながら解説は、北条政子の守り本尊であるという正法寺の歴史のみの言及。
 700年だという推定樹齢も市の広報物から参照しましたが……いずれにせよ、数奇な生立ちのイチョウだとは言えるはずです。

 粘板岩か砂岩かと見える質感の岩にはイチョウの根が亀裂に入り込み、反対側では礫状に砕かれつつある。
 イチョウ巨樹のアベレージからすればさほど太い幹に見えないのは、多大なエネルギーを根に割いたせいかもしれない。

 11メートル超という、目を惹くデータを持っていますが、これは(幹周ではなく)根周とされている模様。
 複数のひこばえで成立しているような感じが、岩がちな斜面や沢に生きるカツラを彷彿とさせます。

 ひとつとして同じものがない。それこそ巨樹の面白みですが、中でもイチョウはどんな形にも化けて見せる。
 「見慣れた? そうか、それならこれはどうだ」。とばかり繰り出された荒業に、暗さに撮れなくなるまで目を奪われ続けました。

「正法寺のイチョウ」
 埼玉県東松山市岩殿1229
 推定樹齢:700年
 樹種:イチョウ
 樹高:20メートル
 周:11.1メートル

 市指定天然記念物
 訪問:2023.11

探訪メモ:
 参拝客用の駐車場があります。
 まっすぐな参道を通っても行けますが、車なら裏側の太い車道から入っていくのが主流だとか。
 市投稿の動画によれば、例年、黄葉は12月初週くらいらしく、ライトアップもあるそうです。

4件のコメント

  • to-fu

    正法寺のイチョウ…聞き覚えがあるぞ。と思ったら。
    私が真夏に訪れて、あまりの暑さに裏の「日の出家」で蕎麦を食って未訪問のまま撤退したイチョウではありませんか 笑
    日の出家の写真が残ってました → https://withphotograph.com/?p=10428
    ここの蕎麦は異常にレベルが高かった…

    しかしこのクリーチャー的な根回り。やっぱり行けばよかったなあ。
    私が着いた日の出家側はたぶんお寺の裏側?で、歩き回って入口を探してみたものの力尽きてしまったんですよ。
    また長野を横断して埼玉のあの辺をぶらぶら回ってみたいです。
    (まあ来年また来ればいいや、と思ったらコロナ野郎のせいで結局現在に至る)

    • to-fuさん
      なんだって? to-fuさんが巨樹を見ずに帰った? と、リンクを見返しましたが、なるほど、ときがわ町とセットだった「とあるイチョウ」が、これだったわけですね。
      埼玉県巨樹巡りだったらこれはもう黄金コースなわけですが、バテるのも納得の濃い内容。おまけに夏のイチョウは黄金ではないし。
      「正法寺のイチョウは」黄金でなくても見る価値があるぜこの根! というわけですが、自分としては、イチョウまで来たのにこの「日の出家」のうまい蕎麦を食わなかったことが悔いになってしまいました。
      この後、スーパーでどうでもいい弁当買い込んだ……クッソー。

      まあなんですね、このコメント部分まで読まれる第三者サンがそういるとは思えませんが、ぜひお尋ねの際には個性的イチョウ巨樹とうまい蕎麦をセットで。
      次回は自分もそうします……。この根っこの山がもりそばに見えてきた。

  • RYO-JI

    納まりよいコンパクトさがある・・・って狛さん感覚がおかしくなってない?スゴイよこれ!と思ってしまいましたが、
    それだけ青森のイチョウが尋常じゃない大きさということだと理解して震えています。
    そしてお寺によくあるカタチの良いイチョウかなぁと読み進めて言って驚き。
    まったく知識も先入観もなく拝見する楽しさを存分に味わえる衝撃的な姿でした。
    そりゃあ薄暗くなってでも見に行きたくなりますよね。
    ウナギのエサやりシーンを連想してしまうくらいにグロいというか、根の絡まり具合がもう壮絶。
    昔の人のいたずら心なんですかねぇ、それとも何かちゃんとした理由があるのか?
    イチョウにはほんといつも驚かされますよ。

    • RYO-JIさん
      青森に行ったことでイチョウに対するアベレージは明らかにおかしくなってますね。笑
      まあ、四国や九州以後におけるクスもそうかもしれませんが……11メートル? うん、まあ。みたいにデータで小躍りしなくなってしまったのは、まったくご指摘の通りです。
      その点でもう少し言えば、この「正法寺のイチョウ」は、11メートルという数字にしてはかえって大きく見えなかった部類です。
      ネットの写真も、黄葉時の写真か根部のクローズアップばかりが目に付くので、実際目の前に立ってみてどのくらいのサイズ感なのか、つまりどんな巨樹なの? と、率直な感想を楽しみに行ってきました。

      「ウナギのエサやりシーン」は言いえて妙!
      たしかにアレには要モザイク……まあ、この根が動いてしまったとしたら、それにもまたモザイクですね。
      ヒューマンスケール撮ろうとした巨樹愛好家が……いや、やめましょう。
      数百年規模のタイムラプス動画があったとしたら、きっととんでもないことが起きているはずです。

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