巨樹たち

埼玉県熊谷市「塩の大エノキ」

塩気どころか旨味たっぷり

 埼玉県秩父市のパワースポット今宮神社の「駒つなぎのケヤキ」に寄ったのが昼。
 そこから頑張って走って熊谷市に到達。陽が傾きかけていましたが、あきらめずにあと2か所ほど訪ねてみる計画です。

 巨樹をいくつも見出せそうな土地柄ですが、中でも興味を惹かれたのが「塩の大エノキ」
 そう多くはないエノキの巨樹で、しかも健全らしいと知ったら、優先して訪ねずにはいられなくなりました。

 ですが、実は遠かった……さすがは埼玉県、市街地の渋滞も粘っこい。どんどん夕陽っぽい色の光になっていってしまいました。
 「塩」というのは地名らしく、その塩地区には辿り着くも、田んぼ道を進めば進むほど雑木生い茂り、怪しげな雰囲気になっていきます。

 ええ? ここなの? コワイコワイ!
 垂れ下がった枝に屋根をこすられ、逆光に目を焼かれてムスカ大佐になりながらも進んでいくと……

 おおっ! と声が出る巨樹のオーラが。改めて、「塩の大エノキ」。
 ああいう道での恐怖感は、この先どうなるんだ? という不安から来るものですから、ホッとした安堵を上乗せして、ますます特別に映ります。

 すぐそばがクリ畑みたいになっており、田んぼとともに丁寧に管理されているのが伺えます。
 ちょうど丁字路のぶつかる場所で、一里塚=エノキという昔の人々のセオリーがよぎる。
 かといって、ここが一里塚だったかは資料がないのですが、この大エノキもやはりなんらかの道標だったのでは? と思い浮かべる雰囲気があります。

 そう、いい雰囲気なんですよね。
 足元にはお地蔵さん。西日の中、ぬくもりを感じるような豊かな樹冠下に入ると、すぐ横に握り飯を食べて一休みしている旅商人の姿があっても不思議ではないような。もっとも、その時代にはこれほど大きくはなかったのかもしれないですけど……。
 「木」に「夏」と書いて「榎(エノキ)」というほど、あるいは一里塚に植えられた理由にしても、よく育って木陰を作ってくれるからだと言います。本当にその通り、包容力のある樹だなあと。

 現地に解説はありませんが、データでは幹周4.3メートルとのこと。
 この数字をリストで見ただけでは、わざわざ訪ねる動機は得られないでしょうね。
 しかし、幹は横幅があり(二本の幹が癒着したのかもしれない)、一段小高い位置に育っているせいもあってか、もっと大きいように感じます。

 根幹に大きな腐朽なく、どっさり葉をつけた二又の大枝は滑らかな曲線を描き、大きくのけ反っている。
 何を想像したか、言わなくてもわかります……イナ、バウアー……とか。笑

 熊谷市のサイトによれば、この足元のお地蔵さんは「疣(いぼ)地蔵」だそうで、泥団子を供えて祈ると疣を治してくれるのだそうです。
 田園地域で、撮影時にもまさに草木と泥の匂いに包まれていましたが、ぴったりな、なんともほのぼのとする言い伝え。 
 お地蔵さんの赤いよだれ掛けが写真のいいアクセントになってくれるとも言えます。

 「塩」という地域名もリサーチ時から印象深く、それで記憶していたフシもあります。
 この謎も上記の市のサイトに記述がある。几帳面な良いサイトですね。
 要約すると、シオ=シワは谷津の入り組む地形を指しているらしい。岩手県の紫波なんかと同じ由来なのでしょう。
 意外にも「塩の産出や運路とは関係ない」そうで、そうなのかあ……と、塩分に名残惜しさを感じつつも、まあ確かに、海なし県の日本代表のような埼玉県のど真ん中ですし、風景を見渡してみれば、その説を疑う気にもならない地形です。
 巨樹マニア的な話題を戻すと、さいたま市の方に行くと「砂の大ケヤキ」というのもあるんですよ。
 行くと、って、ぜんぜん近くはないですけれど、面白い名前だけでも、もう見に行ってみたくなります。

 エノキと言えば、気合で探訪した日本一の大エノキ、徳島県「赤羽根大師のエノキ」が数年して倒れてしまったのを思い出します。
 クスやスギよりよほど朽ちやすく、寿命も長くはないのかもしれない。
 そこまで巨大にはならないし、寺社よりも街中や道端にある距離感からも、開発の波に呑まれて消えていった樹種とも言えるでしょう。
 この「塩の大エノキ」のような、絵画的な「むかし」を感じさせてくれる巨樹を、ぜひ探して見に出かけたいと思うのです。
 その意味では、エノキは今でも、巨樹探訪における「一里塚の樹」と言えるかも。

「塩の大エノキ」
 埼玉県熊谷市塩
 推定樹齢:300年程度
 樹種:エノキ
 樹高:7メートル
 幹周:4.3メートル

 訪問:2023.11

探訪メモ:
 駐車スペースはほぼなく、農道を塞ぎがちです。
 この時は北側からアプローチしてしまいましたが、西(滑川のほう)からも道はつながっているようです。
 ただ、(おそらく軽トラ用の)未舗装路で、針金みたいに茎の固い雑草の群れがわんさとはみ出しています。
 キーキーガリガリガリッ! ……Uターンして北側から帰りました。

4件のコメント

  • to-fu

    ああ、なるほど。塩だなんて植物全部枯らしちまいそうな地名なのに緑の多いところだと思ったら、
    地名の由来はそんなところにありましたか。たぶん私が高崎からときがわ町を目指したときに近くを
    掠めていたはずで、あの辺かな?と当時見た景色を思い返しながら懐かしんでしまいました。
    (何年も前の写真だけどしばらく行けないだろうし、更新しようかなって気分になりましたよ、)

    これまた立派なエノキ!幹周もうちょっとありそうですけどねえ。
    こんなに傾いて倒壊しないだろうかと心配になりますが、強烈な吹きおろしはむしろ平野部が
    引き受けてくれたりして、意外と奇跡的なくらいに立地がいいのかもしれませんね。

    しかし、全景を見ると本当にいい雰囲気。車よりもバイクや自転車が似合いそうだ。道の狭さ的にも 笑
    近場にこういうところがあったら、昔の旅人気分で「ちょっくら一里塚まで」と散歩出来たら
    最高の気分転換になりそうです。近場にこんな巨樹か…こっちにはないなあ…

    • to-fuさん
      関東以外に在住する巨樹好きとすれば、埼玉県はまずときがわ町、自然豊かな秩父、市街地に残る有名巨樹……と目がいくかと思いますね。
      そこから外れながらも「塩の大エノキ」は案外知名度がありそうです。天然記念物指定されていないながら人気があるとも言えるかも。
      後から気づいたんですが、2020年の「巨樹の会」のカレンダーにも写真が載っていました。落葉時で側面アングルなので、まるで別の樹ですが。
      それはやはり「塩??」という名称と、健やかな見た目の良さで印象に残るからだろうと思います。

      地名の由来らしいこの谷地地形の気候が幸いしているとは、言われてみれば、鋭い指摘ではないかと感じました。
      逆に、ひたすらに目立つように孤立させる一里塚の上という環境は、エノキにとってどうだったんだ? とも。
      何かの道の目印だったとは思える……でも今は往来からは外れ、だからこそ里山の環境が残っているこの土地。
      ここならきっと今でも生きやすいんじゃないかなと、ポジティブに眺められる巨樹でした。

      自転車での訪問はきっといいと思いますね。
      エノキが遠くからも目印みたいに見えるでしょうし、そこへ向けて少しずつ進んでいく。それでこそ、という感じがします。

  • RYO-JI

    これはメチャクチャ気持ちの良い場所ですね!
    幹周からは想像もできないほどの大きな樹冠が素晴らしい。
    to-fuさんがおっしゃるように、真夏に自転車で行って木陰で涼むなんて最高の時間を味わえそうです。
    お地蔵さんの存在がより魅力を引き出しているのも間違いないですね。
    昔に思いを巡らせた一里塚のアレコレ、きっとそうだと思います。

    幹周は私ももっと大きく感じますね。
    見事なイナバウアー具合がやや心配な気もしないではないですが、とても健康そうなのが良いです。
    とにかく写真で見ていてもこれだけ気持ち良いエノキ、実際にその場に行ったらそれだけで幸せになりそう。

    • RYO-JIさん
      背はそこまで高くないですが、樹冠は想像よりもたっぷりとしていました。
      RYO-JIさんが撮られたエノキもそうでしたが、エノキは柔軟性が感じられるフォルムを見せますね。
      おお、反ってる! とマネっこポーズをとりたくなるほど反ってましたが、根幹がしっかりしているので、具合的には全く大丈夫そうで良かったです。

      縁のない土地で、ただただエノキの巨樹がある=一里塚=ははあ、ここは交易路だったのだ! と勝手に推理して行ったので、今回、「いや、全く違います」との公式見解を見つけてポカーンとしてしまいました。笑
      我々現代人が江戸時代の一里塚の風景に関して思い浮かべる理想像みたいなところがありますね。
      いや、記事にも書きましたが、300年前はこの樹、影も形もなかったのかもしれませんけども。お地蔵さんはあった? と、そういうところもまた巨樹が気づかせてくれる歴史の面白みですね。

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