この鉄塔のような支柱も、本の写真時点ではなかった。
幹上部を見上げると、まるで派手な交通事故に遭って骨がガタガタになってしまった人みたいで哀れ……。
一本だけの大枝を松葉杖のように支えられている姿は、徳島県「野神の大センダン」と近い巨樹の晩年感。
これはできれば触れたくない点でもありつつ、「周辺環境に恵まれなかった巨樹」……と言うほかない。
この土地は三代将軍家光の御典医、半井驢庵(なからいろあん)の屋敷跡らしく、ハルニレも驢庵が朝鮮から持ち帰った苗を植えたものだそう。
その時代からハルニレは敷地の端にあって、すぐそばが街道だったのかもしれない。
これほど長い時が流れても……驢庵自身、この樹が日本一のハルニレに育つとは予想しなかったはず……街の区画は厳然と継承されてきたのでしょう。
4件のコメント
RYO-JI
日本一のハルニレ・・・そう聞くと是非とも見てみたくなりますよね。
しかしこの痛々しい姿を見るとその決意も揺らぐ自分もいます。
支柱に囲われ、生きているのか、生かされているのか季節や見方次第で考えも変わりそうですが、
こういう巨樹を見ると本人に聞いてみたいといつも思います。
もちろんそんなことは叶う筈もなく、結局はありのままを見るだけしかできずガックリしちゃうかもしれません。
それでもやっぱり見ておくことに意義はあるように感じますね。
このままだとあとどれくらい持つのか?
心配しだすとキリがありませんけど、巨樹愛好家としてはもっと大胆な環境改善をして欲しいと切実に思います。
狛
RYO-JIさん>
この樹を知るまでは、てっきり最大のハルニレは北海道にあるものだとばかり。
おそらく、北方種が暖かい気候に養われた結果、立派な巨樹となったのだろうと思います。
でもそうですね……この姿には、「生かされている」感を感じてしまいます。
半壊状態でも、RYO-JIさんと見た福井の「専福寺の大欅」なんかはすこぶる雰囲気が良かった。
しかし、こちらは立地に恵まれませんでしたね……。
巨樹DBでは「枯死寸前」のパラメータですが、それも仕方ないかもしれない。
またこの地域に行くなら、青々している時期に訪ねて、せめて主観的な印象だけでもを上書きしたいものです。
to-fu
海老名SAといったら長女が幼少の頃のお正月、どうしてもトイレが我慢できないと突入したら駐車→トイレ→脱出だけで3時間を無駄にした記憶が…マジです。滅びてくれねえかなあそこ。(どうしても口が悪くなる)
それにしてもとんでもないハルニレですね!トップの写真を見た瞬間に興奮してしまいました。
これは是非とも葉を付けた姿も見てみたいですが、巨樹のリアルを見るという意味では落葉した時期の姿を
見ることができて幸運だったのではないでしょうか。しかし壮絶だな…私もやはり野神の大センダンを思い出しました。
渡辺サンの時代どころか私が巨樹をめぐり始めてからだけでも本当に多くの巨樹が枯死してしまいました。
個人的には三人で集まった思い出もあり、赤羽根大師のエノキの倒壊には本当にショックを受けましたよ…
効率化を追求するスピーディな現代社会って、大切なものをポロポロと落としながら突っ走ってますよねえ。
カメラ業界然り、資本主義も行きつくところまで来つつある感がありますから、そろそろ立ち止まって足元を
見つめ直す時期のように思います。我々もせめてWebの海の片隅で叫び続けたいですね。
狛
to-fuさん>
マジですか……遠方からのファミリーに何たる思い出をサービスしてんだ、あのエリアは。
東京、横浜方面から我慢してちんたら走ってきて、飢餓とトイレが同時に襲うところにわざわざあんなモン作るんだから、県はきっと地雷原が欲しかったんでしょうね。
電車で乗り込んだ海老名は違って見えました。ははは、まあいわば(これ以上はやめておこう)
それはともかく、色々書きましたが、一見の価値あるハルニレなのは間違いなしです。
調べていくと、各地にぽつぽつと大きなハルニレを見つけることもできたのですが、たしかにこれほどの個体はない。
立地上こうなるしかなかったのでしょうが、扁平な印象も受け、これ以上傷んで車道の方へ傾くようなことがあれば、早い判断で切られてしまいそう。
確かに、どんな姿にせよ、ありし日を記憶に焼き付けられて良かったと言えます。
害虫、震災、台風、熱波……本当に訃報が多いですね。
殺風景とも言える風景の中、明らかに浮いているこの巨樹を見ていると、「がんばれ」と応援するのも何か違うような、複雑な感情に囚われました。
人の手が植えた「日本一のハルニレ」にスゲエ! と感動しつつも、同時に反省と罪悪を感じてしまうようです。