細川家は維新後は華族(侯爵)となり、第18代当主の細川護熙氏は総理大臣になった方ですね。
……と、個人的にはそれくらいしか知らなかったので、この樹をきっかけとした読み解きは大変勉強になりました。
よくある「この巨樹の元に屋敷を作った」のパターンではなさそう。
屋敷森に常緑樹が重宝されるとともに、武家屋敷だった以上、非常食として役立つシイの選択が意味深に思えてきますね。
休まず姿を変え、少しでも目を離せば全く知らない街になっていそうな東京。
そんな中にあって、この樹の根元は、確実にひと続きの歴史を記憶し続けている数少ない地点なのだな……と、感慨深く思いました。
4件のコメント
to-fu
立派な根回りですね。素晴らしい。
このシイの存在は全く知りませんでした。こんなところに巨大シイが生えていたなんて。
シイの巨樹といえばお寺の境内か鬱蒼と茂った森の中というイメージがあるので、
都市ど真ん中に生きる姿は新鮮です。意外と街並みに馴染んでしまうものだな、という印象。
狛さんに関東のシイ勢を案内していただいてからシイは個人的に好きな樹種なんですが、やはり立地を
考えると訪問が億劫になってしまいますねえ。田舎生活が長くなるにつれ、都市部へ向かうことに対して
異常なまでの抵抗を感じるようになりました。これはあのコロナ生活の影響も大きいのかもしれません。
そういう意味では過去を振り返っても仕方ありませんが、東京暮らししているうちに出会いたかった!
当時巨樹に興味があれば!と悔しくなる一本です。
狛
to-fuさん>
この板根といい、「一本でも雑木林」的な鬱蒼とした感じといい、ちゃんとスダジイ巨樹の醍醐味を発揮しているのに驚きました。
ご指摘の通りで、ちょっと品よくまとまっているというか、特有の野蛮さのアクが抜けたスダジイ巨樹とも言えるかなと。
そう考えるとまたちょっと親しみが湧いてきます。
アーミーめいた薮蚊がいないのはいいとしても、この立地、巨樹探訪の観点からすればかなりのイレギュラーですね。
都市史の占める割合が多くなるのも当然で、敷居が高く感じました。
そう、東京在住だったら……逆に、かなり年配になるまで視野に入らなかったかもしれませんね。
腰は重たかったのですが、おそらく大阪のクスなんかもこうだろうと、経験値を積むつもりで出かけてみた次第です。
まあ、結果、やっぱり長距離運転と彷徨のすえの到達・発見って尊いよね……と、再実感できたかもと。
今年こそフットワーク軽くしていきたいもんですね!
RYO-JI
前職&前々職時代には田町や品川はよく行きましたよ。
何度か都ホテルにも泊まったり・・・。
そのすぐそばにこんなシイの巨樹があったとは驚きです。
偶然でも何でもいいですが当時これを見ていたら自分はどういう反応をしただろうか?などと妄想を楽しんでます(笑)。
主幹がバッサリ切られているので見応えがないと思いきや、この根元部分の逞しさに目を奪われますね。
とはいえ、やっぱり一般的には「終わってしまった樹木」的な扱いを受けてしまうのは仕方ないのかもしれません。
そりゃまぁそうですよね。
『この根回りがスゴイ!』『シイやイチョウはここからが本番だ!』なんてアツくなるのは愛好家だけですからね(笑)。
狛
RYO-JIさん>
高輪というと、自分もどちらかというと品川駅のイメージでした。
親がやはり企業のイベントかなんかで何度かホテルに行ってて……と、そのくらいの記憶ですが。
その辺りも、たしかみるみるうちに大きく(ハイグレードに)様変わりしていったんじゃなかったかと思い出します。
東京時代にはもっぱら北品川あたりの路地を撮ってて、段違いぶりに驚いていましたっけ。
ストリートスナップ時代なら、都市の中に突如現れる異景として撮る可能性が十分ありそうですね。
カメラもない時分に遡るとなると……出くわすこと自体、かなり限られた運になってくるなと。
現代を生きる巨樹には必ず危機の局面があるわけで、その時どう解釈されるかにかかってますね。
このシイは歴史的な価値とシイという樹種の特性をちゃんと理解されて、今こうしてここに生きている。
それを考えると、さすが東京! とも思えてきますね。