巨樹たち

福島県福島市「医王寺のシラカシ」

歴史絵巻とダブルイメージ

 福島市の天然記念物を調べ、たどり着いた真言宗のお寺、瑠璃光山医王寺(るりこうざん・いおうじ)。 
 826年、弘法大師空海により開かれたとされています。

 いつも通りのファースト・インプレッション最重視&ノーリサーチ主義のため、「門のすぐ近くに立っている」程度の情報しか持ち合わせませんでしたが、まず、拝観料300円とのこと。
 たかいな。そう思ってしまったのも、ノーリサーチのゆえなんですが。
 おいおまえ! とご指摘頂戴するでしょうが、ほうらすでにワタクシの姿は門の中に消えていますよ(逃げた)。
 お目当ての巨樹はすぐそこ、樹種はシラカシです。

 「医王寺のシラカシ」。
 おおー、これはでっかいカシだ。笑みと歓声が漏れました。

 シラカシは、宮城県の寺社にも巨樹基準を満たす樹がありますが(利府町には「しらかし台」という住宅地も)、どうやらそこが北限らしい。
 暖かければ比例的に大きくなるのかというとそうでもなく、幹周囲5メートルを超える個体は書籍で探しても少ない印象です(樹種別「カシ」も参照を)。
 幹周5.03メートルというこの「医王寺のシラカシ」も、寒さに鍛えられながらじっくり大きくなった巨樹だと言えそうです。

 カシ特有の身の詰まった重量感がそう思わせるのかもしれませんが、実物は数値以上に大きいようにも感じます。
 測ってみたい。飾り気のない、真の意味での単幹なので、気持ちよく実測できそうですよね。

 アカガシは材が赤みを帯び、巨樹では樹皮が剥がれてグロテスクな様相になる(ことが多い)。
 一方シラカシは、地方によってはクロカシと呼ばれることもあるそうで……だから別に白いわけでもないのですが、歳経てもしゃんと立っている印象が強い樹です。(いや、中にはすごいのもいますが……)

 常緑樹。冬の巨樹巡りのメインとなってくれるありがたい樹種です。
 幹上部が半分削げたように折損しているものの、息を吹き返した枝は元気が良い。樹冠もこんもりとしていました。

 ちなみに門の反対側には少し細めな相棒格のシラカシが立っており、さながら二人の武将が門を守っているかのようです。

 新しく、内容細やかな解説。
 医王寺のパンフレットにもちゃんと掲載があり、市天然記念物として大切にされていると実感できました。
 寛永年間(1624~1643)の寺院再建時に植えられたとされている。お寺側にはそれなりの裏付けがあるのではないでしょうか。
 とすれば、「今年(2024)ちょうど400歳!」と言いそうなところ、実直に推定樹齢300年としているのにも好感がもてます。

 左右一対の武将とは、含みある連想だったかもしれません。
 ここ医王寺には、平安末期(1150年頃)、源義経の挙兵に随行した兄弟武将、佐藤継信(つぐのぶ)と佐藤忠信(ただのぶ)が眠っているそうです。

 もともと奥州藤原氏に仕えた武将たちですが、藤原秀衡に命じられて従ううち義経四天王に名を連ねる重臣となった。
 兄・継信は義経の盾となって討ち死にし、弟・忠信も義経を逃がすための囮となって包囲のど真ん中で壮絶な自害……
 これはもう、「忠義」パラメータがデフォルトMAX100、絶対に裏切らない激熱キャラではありませんか。
 シラカシを眺める視界が涙ににじむぜ。

 悲しむ母・乙和(おとわ)を、継信の妻・若桜と忠信の妻・楓が武者装束をして慰めたという。
 美しい若妻たちが鎧姿で。これまたもちろん、後年の戯作、歌舞伎や人形浄瑠璃などが放っておくはずがありませんね。
 本堂にはこの名シーンを再現した古い人形も展示されていましたが、ピリッとした冷気立ち篭める現地には、里見八犬伝的な伝奇の空気すら漂っているようでした。

 奥の院の薬師堂付近にある継信・忠信の墓は、岩塊のようでちょっと異様。
 昔、「粉にして飲むと体が強くなる(熱が引く、とも)」とされ、削られまくったとか。
 墓石を……削って飲む。ううむ。昔の人の考え方自体がとても強い。

 その横にはツバキの古木があり、これを「乙和椿」という。
 乙和とは、上記の継信・忠信兄弟の母君です。
 彼女の悲しみを宿したか、このツバキはつぼみができても決して咲かず、そのまま落ちてしまうそうです。
 これまた伝奇。

 兄弟武将と一対のシラカシ、鎧装束の妻たち、母の悲しみを受け継ぐ椿、霊力のある墓石まで。
 どれもが、現存するものへの面影の転写、ダブルイメージと呼ぶべきものを宿しているのですね。

 医王寺にはまた、小さな博物館くらいに濃い宝物殿もあります。
 かの弁慶のものという県重要文化財の笈(おい:修験者が背負う箱状の道具)や直筆の書物まであり、芭蕉は「奥の細道」で「笈も太刀も五月(さつき)にかざれ紙幟(かみのぼり)と詠んだという。

 予想外の展開でしたが、すっかり歴史と伝承の面白さに魅せられてしまいました。
 シラカシも、まさにここにあってしかるべき巨樹。すごく、ぴったりだ。
 巨樹を目印に訪ねてきて、どっさりお土産をもらった気分でした。

「医王寺のシラカシ」
 福島県福島市飯坂町平野寺前45
 医王寺
 推定樹齢:300年
 樹種:シラカシ
 樹高:25メートル
 幹周:5.03メートル

 市指定天然記念物
 訪問:2024.2

探訪メモ:
 歴史ファンにはたまらないお寺でしょう。素人にも大変面白かったです。

 県道5号沿いのバスが停まれる規模の第二駐車場に加え、お寺の近くにも駐車場があります。
 シラカシ含め、お寺の敷地に入るには拝観料300円がかかります。
 

4件のコメント

  • to-fu

    これまた綺麗なシラカシですねえ。樹冠の淡い緑が青空によく映えています。
    (逆にアカガシは雨の日がよく似合うんだなあ…結構グロいわけですけど。)
    カシの木と残雪のコラボが斬新ですが、やはり巨樹としてはこの辺りが北限なのですね。
    あまり大きく育つ樹種ではありませんがカシの葉の透き通るような緑色が好きで、
    個人的にはわりと優先的に回りたくなります。
    滋賀県に3回訪問しながら未だに記事にしていないシラカシがありまして、記事を書き進めたくなりました。

    最初は「シラカシ代に300円かあ…」なんてけち臭いことを思いながら読み進めてしまいましたが、
    歴史的背景など含めると追加で駐車場代に300円払っても惜しくないくらいですね、ここ 笑
    当たり前の話ですが関西圏の寺社を回っていても、東北サイドの武将さんの名を見ることはほぼありませんから、
    久々に信長の野望でも…いえ、いつかそちらの寺巡りなどしてみたいものです。

    • to-fuさん
      アカガシとシラカシでは、巨樹になると差が出ますよね。
      どうにもあのウバッカシの呪的印象がぬぐえず……ああいうのを考えると、アカガシは横に、シラカシは縦に育っているような印象もあります。
      北限にもかかわらず宮城県ではけっこうたくさんシラカシの大木を見かけます。
      どんぐりや堅い材も手に入るし、立ち姿はシュッとしてるしで、いかにも戦国好みの樹だったんじゃないかなと勝手に思っています。
      三度訪問されている滋賀のシラカシ、気になりますね。笑 きっとto-fuさんの琴線に触れる良さがある樹なのに違いない。

      門前で小者ぶりが露呈するのはノーリサーチ主義の大きな欠点ですが、まあ、その倍くらい思わぬ収穫がどっさりあったので、やっぱり次からも手ぶらで行くでしょう。
      東北での中世史は次々支配が塗り替わるような感じではなくて、奥州藤原氏どっしり、伊達氏どっしりですから、案外気持ちが入れやすくて良いです。
      しかし、義経・弁慶にしても、弟の佐藤忠信が自害したのが京都の御所辺りだったというのにしても、あの時代に列島を股にかけて転戦していたというのはものすごい。
      芭蕉のみならず、兵士含めて全員忍者だったんじゃないか? などと。

  • RYO-JI

    寺社に存在することが多いこともあって巨樹を巡ると必然的に歴史に触れることになりますよね。
    その辺りを深く掘り下げていくとキリがないのであまりやりませんが、巨樹巡りの副産物としての楽しみでもあります。
    400年も生きていればもう歴史の一部となっていると言っても過言じゃないでしょう。

    門の左右に並ぶ様がいいですね。
    個人的にこういう光景が好きなんですよ。
    それがあまり見かけないシラカシだということで価値もありそう。

    • RYO-JIさん
      自分も日本史をあまり深く勉強してきませんでしたが、この歳になって教養として読み込むのはなかなか楽しいです。
      普通なら大河ドラマなどがきっかけになるんでしょうけど、巨樹だって入口としてはすぐ近いところまで引っ張ってくれるもんです。
      左右にシラカシ、スギみたいな大きさはないですけど、強そうですよね。
      南下しながら探すのも楽しいですが、茨城まで来るとシイとの縄張り争いになるんですよね。
      そう、これぞ「どんぐりの背競べ」……でもないか。笑

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