巨樹たち

長野県下伊那郡「月瀬の大杉」

南信州の世界樹

 結果的に長旅最後の巨樹訪問になりました。
 2000キロを超えてしまった旅路の締めくくりにふさわしい巨樹とは……いずれ訪ねると心に決めていた「月瀬の大杉」です。

 所在は長野県下伊那郡根羽村
 「根羽村」にかけて「長野のネバーランド」みたいなキャッチを立ち上げていたりします。
 延々と登坂してきた自分としては、奥地感、山の深さがよく表れている通称だと実感できてしまう……。
 「月瀬」は集落名で、「つきぜ」と濁って発音するようです。

 大杉は目立つ見所のひとつであり、周囲は広々とした「大杉公園」に整備されています。
 駐車場やトイレも完備されていて、至れり尽くせり。
 なんと、大杉のために吊り橋まで新造したようです。
 これがないと、ぐるりと回り込むように歩かねばならないのでしょう。

 すぐにその巨大な姿が心拍数を急上昇させてくれます。
 合羽姿で駆け出さずにいられなくなる(終日大雨)。

 ……これが念願の月瀬の大杉!
 ものすごい主幹に加え、さらにもう一本、腕のように張り出した副幹があり、規模が倍加している。
 この格好は、山形「山五十川の玉杉」にも似ています。
 幹周囲13.6メートルで全国のスギ巨樹中第6位の大きさ。
 樹高も40メートルと高く、実に堂々たる巨樹ぶりです。

 数値よりも、人間と比べたほうが大きさがガツンとわかる。
 でかい。ものすごく。単純にそれしか言葉が出て来ませんでした。

 いい樹だなあ……としみじみ、語彙を失った感想しか出ません。
 囲いからかなり離れたところにも、明らかにこの樹のものである巨大な根が顔を覗かせています。
 この一帯の地盤を掌握してしまっていることは想像に難くありません。

 岐阜県「加子母の杉」と同じく、単幹がほぼそのままの太さでズドンと天を衝く姿が勇ましい。
 分岐してうねる裏杉とは全く違うフォルムに、ここまでやって来たか……と、旅足への感慨にふけりました。

 ある意味スギのご神木の理想形を達成しているのではないか。
 トップクラスに巨大、物凄い迫力ではあるが、不思議と威圧や恐怖感をぶつけてはこない。
 佐賀県「武雄の大クス」や、岐阜県「石徹白の大杉」は、もはや半分神様になりかけているようにすら感じましたが、この巨樹は、決して上から語りかけてはこないだろう。
 なぜかそう感じる。

 当時からあまりに立派だったためでしょう、焼失した江戸城本丸の復興用材として伐られる運命だったそうです。
 それを月瀬の人たちが死守した歴史がある。
 幕藩時代、どれだけ危険なことだったか。
 大杉もその声に応えてますます立派に育ったように思います。

 土砂降りの中、一時間以上杉のそばにいました。
 大きさだけでなく、何か惹きつけられるものが確かにあり、なかなか離れる気になれません。

 ご神木以前に集落のシンボル、いや、これ自体が集落・地域そのものであるというような……
 誇張して言うと「世界樹」みたいな存在感なんじゃないかとさえ想像しました。
 ただの主観、個人的な印象ですが、月瀬の人たちは、この樹の上に住めるんなら住みたいと思ってるんじゃないだろうか。

 月瀬神社。
 古来より大事変が起きる時、何の前触れもなく大杉の枝が折れたと言います。なんでも、日露戦争開戦の時もそうだったとか。
 この神社と大杉には他にも変わったご利益があるそうで……

 なんと歯の神様!
 しかも虫歯に霊験あたらかとは、現代人にはありがたいじゃありませんか。

 解説には、上記の江戸城再建時のピンチに加え、明治の神社統合時代の危機もあったことが書かれています。※1
 大杉を無遠慮な権力の手から二度も守り抜いた月瀬地区の方々にはただただ脱帽です。

 巨樹の実物を前に解説を読んでいたら、雨の寒さか、はたまた感動か、ぶるっと震えがきました。
 人と巨樹の本来の関係を思い起こさせてくれる素晴らしい巨樹、ぜひ再訪したい巨樹のひとつとなりました。

「月瀬の大杉」
 長野県下伊那郡根羽村月瀬
 推定樹齢:1800年
 樹種:スギ
 樹高:40メートル
 幹周:13.8メートル

 国指定天然記念物
 樹種(スギ)別幹周県1位
 訪問:2017.10

探訪メモ:
 観光バスも停まれる広い駐車場があります!
 北上していくと、「森の駅ネバーランド」があり、しぼりたてミルクのアイスが美味しいですよ。

※1
 神社合祀政策が明治政府によって実行されたのが1906(明治39)年。
 身も蓋もなくいうと、小さな神社を潰しながら合体させ、運営に余裕を持たせることによって、政府が吸い上げようというシステム構築です。
 この法により、日本中で数多の神社が消滅させられることになりました(三重県ではおよそ9割の神社が失われたという。対抗しようとした南方熊楠の逸話も有名)。
 文字通り八百万いた神様とその信仰、神社、御神木も、次々と失われていった。
 こんな悪政がなければ、日本はどれほどユニークな神様と巨樹に恵まれた景色を残していたことか……。
 そんな想像も同時に湧き上がってきて、切なくなりました。

この巨樹旅の様子は、「2017年・九州~関東 巨樹旅5」でどうぞ。

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