巨樹たち

宮城県宮城郡「利府城跡の大イチョウ」

戦国時代の忘れ形見

 暖冬ながら、さすがに冬の訪れを感じ始めた12月10日、日曜日。
 「混み合う前に塩竈神社に行っとこうかな……」、などと車を走らせていました。

 利府(りふ)町の市街中心地、左手に「びっくりドンキー」が見える辺りまで来た時でしょうか、奥の丘陵地にひときわ大きな黄色が。
 そう、ノーマーク・イチョウ巨樹との遭遇です。
 この時期を逃してしまうと、どこにあるのかもおぼつかなくなってしまう。またそれがノーマーク・イチョウ巨樹。
 とりあえず次の信号で舵を切ってみました。

 スマホで位置確認すると、そのイチョウが立っている地点は「館山公園」という公園らしい。
 以下、道案内が少々ややこしいので↑園内地図とともにどうぞ。

 春は桜の名所として親しまれているという館山公園の駐車場は、山の北側に作られています。
 反面、目指すイチョウ巨樹は公園の最南部に記されている(この案内板は「現在地」にあったもの)。
 たどり着くには、
 1:公園内の林を縫う鬱蒼とした遊歩道を(「憩いの丘」経由)計数百メートル歩く。
 2:利府小学校の横の坂道を上がる(南側入口)。

 後者は近道ですが、袋小路で駐車スペースが全くありません。
 小学校の入り口で転回できないとなると詰みますので、ご注意を。

 ともあれ、迷いつつもイチョウの立つ斜面下に来れば、案内の看板も見つけられます。

 まあ、この時期は、指されるまでもなくイエローカーペットを辿って行けばよいのですね。
 斜面には木材で段をつけてあったようですが、朽ちている上、分厚いイエローカーペットそのものがつるつると滑ります。

 出現、これが国道から見えていた「利府城跡の大イチョウ」
 真上から差し込んで黄色に反射する光に目が眩む。
 道から見えたのは雑木林の外に出た部分で、あとほぼ落葉直後という感じ。
 この黄毛氈の厚さから言って葉の量はかなりのものだし、ピーク時に来られれば見応えする……と想像しつつも、緑を交えたグラデーションのうちに端から散り始めるのかもしれません。

 天然記念物指定はおそらくナシ、自治体のサイトや古めの巨木書籍(「宮城の巨樹・古木」とか)にも掲載がありませんが、幹周は8メートルから9メートルほどはありそう。
 複数の幹が林立している形状ながら、根幹ではある程度まとまって大きさを実感できます。
 幹同士が連理して太くなったように見える個所もあり、イチョウ巨樹としてのアベレージはまず超えていると思います。

 ここ館山公園は字の通りの城址公園で、かつては丘陵の地形を活かした「利府城」だった。
 居住した一族は留守(るす)氏といい、1570年頃には仙台伊達家より養子を迎えて「水沢伊達家」と呼ばれた家柄だそうです。
 主人の留守政景(るすまさかげ)は、伊達政宗の叔父にあたる人なんだとか。

 イチョウのまん前に立つ標柱の側面には、

 「水分神社境内にあるこの巨木は、この城の主人であった留守政景の娘美竹姫の安産と母乳が豊にあるようにと祈願したものという言い伝えがあります。」

 とあり、これが唯一の公式情報。
 留守政景が「祈願した」とすれば、少なくとも450年前にはここにあったと言えそうです。
 当時すでに乳イチョウ信仰が膾炙していたと知ることができますが……まあ、仙台の「苦竹のイチョウ」などと比べてしまうと、気根不足かなと(相手が悪すぎる)。
 この時期でもギンナンの臭いが全くないので明らかに雄の樹です。

 足元には石造りの祠があり、これが地図にあった「水分(みくまり)神社」のようです。
 ということは、大イチョウは現在でもご神木の位置づけなのでしょう。
 写真のように屋根パーツが落ちてしまっていますが、Googlemapにコメントされていた方によれば、もっとバラバラだったのを、どうにか元の位置に戻そうとした……そうで。

 それもそのはず、派手な倒壊部分が今もそのまま転がっています。これが直撃したのか……。
 強風のためでしょうが、ねじ切られたような痕を見せつつも本体の衰えを感じさせないのは、やはりイチョウ巨樹ならでは。
 度重なる折損と再生が現在の複雑な樹形を作ったとも言えるのでしょう。

 帰宅後、留守氏および水沢伊達氏について読み、戦国時代に生きる苦難を痛感しました。
 伊達本家から次々に養子を送り込まれた挙句、豊臣秀吉に「奥州仕置」として領地を没収され、利府城は廃城。
 伊達家傘下で江戸時代を生き抜いた末、戊辰戦争での敗北で失領。帰農を命じられ、士分を保つため家一同北海道に移住、札幌市豊平区平岸を開拓したという。
 この頃には再び「留守」の姓に戻しているところ、ちょっと切ないような気持ちになりました。
 遥か北海道からこの大イチョウを顧みた人はいたのかどうか……。

「利府城跡の大イチョウ」
 宮城県宮城郡利府町利府館
 推定樹齢:450年以上
 樹種:イチョウ
 樹高:25メートル(目測)
 幹周:8~9メートル(目測)

 訪問:2023.12

探訪メモ:
 探訪時は12/10ですが、2023年は暖冬のため、少し黄葉が遅かったはず。例年なら11月下旬が黄葉の見ごろでしょうか。
 上記のように駐車場がなく、周囲の道も狭いので注意してください。

 おまけ。イチョウ手前のこのツバキもけっこうすごい。
 いったい何があったんだ……という艶めかしい(?)幹の珍木ですが、ツバキでこれほどの大きさになるには、これもなかなか古そうに感じます。

6件のコメント

  • to-fu

    これはなかなかの大イチョウですね。
    サイズ的には天然記念物指定されていてもおかしくない、いえ、されていないのが不自然に感じるくらいです。
    イチョウの巨樹は周囲を丁寧に整備されたお寺の境内に立っていることが多いですが、今後地方の人口が減って
    廃寺が増えてくると、このような立ち姿のものが増えてくるんだろうな…と色々考えてしまいました。

    人々に存在を忘れられ自然に還ろうとする大イチョウの姿、そして俺はお前を忘れないぞと言わんばかりに
    鬱蒼とした遊歩道の雑草を刈り続ける管理者の方。そんな関係性を妄想して、何とも温かい気持ちになります。

    しかしこの立地。夏場はとにかくやぶ蚊が凄まじいに違いないので、のんびり眺めるなら今の時期がベストでしょうねえ。

    • to-fuさん
      さすがに青森のイチョウ巨樹には及びませんが、「大イチョウ」の名前負けはしない樹です。
      城跡の土地をそのまま公園にしたような場所ですが、イチョウはほぼ敷地外みたいなところにあるので、わざわざ足を運ぶ人は少なそう。
      正直、ひとりで行くのはコワいような雰囲気ですね。

      利府は梨で有名ですが、見どころは多くない(失礼か)と思いますし、黄葉の時期だけでもこのイチョウの名前が挙がってくるなら、地域にとっても血行促進になるんじゃないか……
      いや、この手前のイオンはいつも超絶渋滞なんですけどね。笑
      イチョウ巨樹は、特に日本では人が植えたものにまず間違いないでしょうし、自然の産物というよりは建築や文化遺産に近いとも感じます。
      丈夫な樹種ですし、今後すぐ枯れる気配はないはずですが、利府城の歴史の一部として末永く記憶に残ってほしいものです。

  • RYO-JI

    巨樹との出会いも一期一会ですね。
    黄葉していなければ当然気付かずにスルーしていたでしょうから、出会うべくして出会ったイチョウとも言えそう。
    そういう意味ではより印象に残る巨樹になるかもしれませんね。
    いや、そもそもこのサイズだと絶対忘れないでしょうけど(笑)。

    こちらでは縁遠い伊達家というワードが出てくるあたりが宮城らしさ満載という気がします。
    母乳伝説は戦国武将もあやかっていたと想像すると何だかホッコリしますね。

    • RYO-JIさん
      いやあ、こういう時行くか行かないか、巨樹に試されてるように感じますね。「おまえはそんなもんか?」みたいに。
      生活圏からそれほど遠い地域ではないですが、また秋にここを通り、同じようにたまたま左を見てるとも限らないですし……。
      ともかく、思い切って踏み込んでみて吉と出ました。

      自分も出身がコッチではないので、全てが殿様に結びついてる文化には舌を巻きます。
      あちこちで巨樹を巡って所縁を読むことで、ディテール部分からリアルな戦国時代を覗き込んでるような気分にもなりますね。

      • 水軍

        利府街道から大公孫樹が見えたとのこと。
        さすがの観察眼。感謝します。
        留守氏の祖は藤原兼家.道兼父子です。二人は2024年の大河ドラマ「光る君へ」に出ています。数代後の子孫、右近伊澤将監家景は1187(文治3)年に鎌倉幕府の家臣となり、文治5年の奥州合戦の時には、頼朝に従って鎌倉から出陣しました。戦後は頼朝から陸奥国留守職を命じられ、その後は「留守氏」を名のり水沢留守氏として幕末を迎えました。
         参考資料『吾妻鏡』

        • 水軍様
          コメントありがとうございます。
          先日も同じ道を通りましたが、これほどの大きなイチョウでも周囲の木立に紛れて見分けられませんでした。
          やはりあの黄葉の時期、インスピレーション?に従って見に行ってよかったと思います。
          留守氏の歴史、なるほどそうだったかと、興味深く読ませて頂きました。
          巨樹の根本に結ばれていた糸を切れないように慎重に辿るような、歴史との思いがけない出会いを最近特に面白く感じます。
          それがまた、戦乱続きの時代を平安、鎌倉と、千年近くも遡れてしまう。ものすごいことです。
          こうした感覚が、今自分がどこにいるのか? をよりはっきり実感させてくれる気もしますね。

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