巨樹たち

岐阜県中津川市「加子母の杉」

さながら恐竜、巨大一本杉

 岐阜県をぐぐぐっと南下し、中津川市までやって来ました。
 岐阜県の巨樹は大変に豪勢なラインナップで、限られた手数でどれを訪ねようか、とても迷いました。
 車中思案した結果、白羽の矢を立てたのはこの「加子母(かしも)の杉」

 

 国の天然記念物指定を受けている巨杉で、「加子母大杉(延命)地蔵尊」というズバリなお寺にあるので、カーナビ任せでも迷うことなんてありえない。
 「石徹白の大杉」を思い出せば、小冒険ナシの巨樹探訪なんてちょっと物足りない……?

 などと走っているうちに、お寺よりもよほど目立つ杉の巨体が目に入りました。
 あれだッ! 
 ……あれじゃなかったら、逆にすごい。

 心を静めつつ地蔵尊に手を合わせ、小走りで裏手へ。
 ドーン! と巨大な姿が目に入ります。
 いや、入らない。杉で視界が塞がるという方がはるかに正しい。

 説明全く不要、見たままの/純粋な/単幹の/ばかでかい杉です!
 巨杉。以上、質問は受け付けません、という問答無用の迫力を帯びています。

 お堂と杉を保護する柵の間隔がかなり狭く、撮るのに苦労します。
 近づけないのはやむなし、ぐるぐると周囲を回って撮ることになりますが、果たして、どの角度から見てもほとんど姿が変わらない。
 目通り幹周は、この一本幹で驚愕の13メートル。驚くべき巨大さです。質実剛健この上ない。

 推定樹齢は1300年とされているとか。
 それでなお、地蔵堂の上空に渦巻く緑色はかなり濃い。
 大正13年に天然記念物指定される以前から、地蔵尊込みで保護されて来たおかげでしょう。
 枝が大きく枝垂れている箇所もあり、広い囲み面積の役割が実感できます。 

 いわば超弩級のノーマルな杉。
 普通の杉の木をトカゲとするなら、この樹はまさに恐竜です。
 姿は似ているけれど、何かが完全に違う。
 その突出した存在感こそが人々を突き動かし、お寺を建立させるに至ったのでしょう。

 この幹の太さがあれば樹高50メートルでも余裕と思えますが、実樹高は30メートルほどらしい。
 もっと高かったものが落雷のせいで折れたそうで、昭和50年代に避雷針を設置した時に上部を観察したところ、先端部面積は4平米ほどもあったとか。
 4平米って……1坪が3.3平米なんですが……なんという大きさ。
 ともあれ、落雷で炎上しなくて何よりでした。

 はるか頭上、苔むし、シダが着生しているところもある。
 ジュラシックな生命観を味わう光景。

 様々なスギ巨樹をも見てきた今回の旅ですが、これほど何の不安もなく見ていられる杉は他にないと思いました。
 この先もずっとこの姿で生きるでしょうし、あやかった長寿の願掛けにも、いかにもご利益がありそうです。

 反面、「八ツ房杉」のごとき裏杉の躍動感や、「高井の千本杉」のごとき多頭樹(合成語)の奇妙奇天烈さなどはありません。
 ただただ物凄く巨大な杉という存在なので、ふらっと立ち寄った観光の方々はあっという間に一周して、あっという間に立ち去って行きます。
 この点を補完するかのように、この巨樹にもお約束のアレがありました。
 すなわち、「源頼朝が地面に杖をさしたらーーー」(※1)

 伝承を盛る必要もないほど、文化と心の拠り所である、お手本のような巨樹と言えます。

「加子母の杉」
 岐阜県中津川市加子母 大杉地蔵尊
 推定樹齢:1300年
 樹種:スギ
 樹高:30メートル
 幹周:13メートル

 国指定天然記念物
 訪問:2017.10

探訪メモ:
 参拝客は多く、広い駐車場があります。
 伝承や杉のプロフィールが良く分かるパンフレットもありますが、撮影に夢中になって置いてきてしまいました。至極残念です。

※1
 平安時代にこの杉の元に地蔵尊が発生した(924年)という歴史がある一方で、源頼朝は1147年生まれとされている……。
 その後、美濃国加子母は飛騨国との国境だったらしく、大杉は「大威徳寺の戦い(1569年)」など戦国時代の波乱をも目撃しつつ生きてきたと言えるでしょう。

 で、その頼朝に命じられて大威徳寺を建立した文覚上人のお墓がこの地蔵尊にあり、「なめくじ祭」という奇祭が伝わっているそうです。
 上人には、若き頃、恋した袈裟御前(人妻)を誤って殺害し、その罪を悔いて出家した過去があった。
 仏教の九万九千日であり、同時に御前の命日である日に、100匹のなめくじに化身した御前が上人を慕ってその墓を這い上る……という。
 一度でいいから見てみたい。

この巨樹旅の様子は、「2017年・九州~関東 巨樹旅5」でどうぞ。

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