巨樹たち

新潟県長岡市「行塚の大榎」

ねがはくは榎の下にて

 2024年6月、富山県へ至る巨樹探訪旅の往路、立ち寄ったここは新潟県長岡市。
 東北から中部地方の日本海側諸県を訪ねるにはどうしても新潟県縦断を強いられるため、わざわざ個別探訪を計画する必要はないんじゃ……とも思いつつ(新潟県の皆さんごめんなさい)、しかし、この巨樹はずっと気になっていました。

 樹種がエノキというだけで十分探訪の動機になる。
 なにせ新潟県の巨樹といえば、スギ:ケヤキ:その他=7:2:1 くらいの割合ですから(これも偏見です。再び県民の皆さんごめんなさい)。
 それだけじゃなく、トップ写真で明らかですが、これほど太いエノキはそうあるもんじゃない。
 田園風景の中にぽつんと現れる「行塚(ぎょうづか)の大榎」です。

 太い! 環境省巨樹データベースでの幹周は7.81メートルもあるとされ、日本一だった徳島県「赤羽根大師のエノキ」が倒壊した今となっては、もしかすると日本一の幹周を誇るエノキかもしれない。
 しかし、一目で凄いと確信できるにもかかわらず、長岡市のサイトの天然記念物のリストにその名はない。
 解説板にデータが載っていないのもそのせいと思いますが、樹自体が立派なだけに少しもったいない。
 太さに対して樹高はそれほど高くなく、三又に分かれている様子からは埼玉県「塩の大エノキ」も思い出す。

 広葉樹にとって最高の季節で、青々とした樹冠が滋味満点。
 ケヤキのサラサラした涼しい感じも好きですが、エノキの葉はたっぷり潤いを感じさせます。
 この季節のエノキやムクを見るたび、(うまそうな葉っぱだよなあ……)と、幼虫サンの気持ちがわかるような気がするのです。
 よく見ると小さな実もたくさん準備している。鳥たちも期待していることでしょう。

 最近折れたらしき枝もあるものの、樹勢は良く、樹冠の面積も広い。
 すっぽり木陰に入ると、エノキというよりむしろクスノキの下にいるかのような包容を感じます。
 その名から、塚つまりお墓の樹だと明らかですが、静かに大地に還っていくのにはこれ以上ない墓標樹に思えます。

 とはいえ、この塚の伝承はいささか予想を超えたものでした。
 まず、塚より先にエノキがあった。「行塚」の行は「行者」の行であり、彼はこのエノキの姿に心打たれ「ここに眠る」と決意したという。
 そして、むろん「修行」の行。つかの間呼吸できるように麻の茎を通し、生きたまま箱に入って埋められた……即身仏となる「行」のことでした。
 明治初期とそう古い時代の話ではないから、伝説とも呼びにくい。とりあえず敷地内にある盛り土は踏まないように気をつけないと、と。

 旅の行者なら、「ねがはくは花の下にて春死なん」という西行の有名な歌を知らないわけはないでしょうし、勝手な想像ですが、幾らか似た理想があったのでは。あるいは、ずっと「その場所」を探して旅をしていたのかもしれない。
 花すなわちサクラ。しかし、目の前に現れたのは青葉濃いエノキだった。
 皮肉に感じるどころか「こここそが成仏の場としてふさわしい」と心打たれ、揺るぎない意志と深い安らぎは混然一体のものとなった……。

 緑濃い樹冠を見上げていると、そんな行者の感動にも十分共感できます。
 そして、揺るぎない意志と深い安らぎ、それこそまさに「行塚の大榎」の姿そのものだろうと。そうも気づきます。

「行塚の大榎」
 新潟県長岡市島田368
 島田公園
 推定樹齢:不明
 樹種:エノキ
 樹高:15メートル
 幹周:7.81メートル

 訪問:2024.6

探訪メモ:
 すぐ近くに「島田公園」があります。
 公園というより墓地の駐車場と言った感じですが、4、5台ほど駐車でき、ゆっくりと大エノキに向き合えました。

4件のコメント

  • to-fu

    恐らく元々は一里塚だったのではないかと想像しますが、明治時代にもなって即身仏になろうというストイックな僧が
    いたことにもビックリです。これだけの大きさを誇りながら支柱の一本も必要とせず足腰(足腰?)しっかりと仁王立ち
    する様を見ていると、やっぱり世の中には目に見えない力が存在するのかもな…と納得してしまいそうな説得力があります。
    しかしこれは立派ですねえ。仰るように今や国内トップクラスではないでしょうか。エノキ巨樹といえば、な茸の付着も
    見られませんし、あまり保護もされていないであろう無指定の巨樹にこんなものがあったのか!と驚かされました。

    この時期のケヤキやエノキの葉っぱは実に美味そうですよね。
    敦賀に入ってすぐのところに恐らく6m強くらい?のエノキ巨樹が生えてまして、撮影しに行きたくなりました。
    何年も前から気になってるんですけど駐車スペースがない上にダンプやトレーラーがフルスピードで行き交ってるので
    ちょっと…な立地なんですよ 笑

    • to-fuさん
      なるほど、行者が来る以前から何らかの塚の樹だった可能性はあるかもしれませんね。
      広大な平地の中の孤立樹、何らかの役割が課せられていればこそ、昔から大切にされてきたのかも。
      昔だったら、信濃川の川船からもぽつんと見えていたんじゃないか、などとも。

      エノキにしては例外的なこの太さに、株立ちかな? とも感じつつ、大きくなるに従って裂けてきたような形にも見えます。
      どちらにせよ、「赤羽根大師のエノキ」以来、間違いなく最大のエノキでした。
      「赤羽根大師のエノキ」の立っている姿を見られたのも実に貴重な体験でしたが、そう、あれ以来、豊かである一方デリケートなエノキ巨樹が気になって仕方がない。コース上にあれば優先して寄ってしまいますね。
      敦賀にもまた行くでしょうし、その6メートル級のエノキにもぜひとも寄ってみたいですね。
      もちろん夏に。この季節のエノキの気持ち良さは格別です。

  • RYO-JI

    周囲に何もない広大で平らな土地にドーンと立つ巨樹、もうそれだけで『好き!』と思ってしまう性質ですが、
    それがまた樹勢も旺盛なエノキだなんて出来過ぎと言っていいくらいですね。
    このように晴れた日に出会ったら、愛好家以外の人も忘れられない存在になると思います。
    そしていくら太さのわりに樹高は控え目とはいえ、天災の被害に遭わずによくぞ生き抜いているなぁと感心します。
    ひょっとしたら大枝が折れたりといったこともあったかもしれませんけど、それにしても見事な威容を誇ってますね。
    クスノキのような包容力という狛さんの表現が実にしっくりきます。
    だからこそ樹冠の下で眠っている行者サンが、ここに埋めてくれと願った理由がわかるような気がします(気だけは:笑)。

    • RYO-JIさん
      樹木が何百年もただ一本だけで立ち続けるって難しいことなんだなあ……と、巨樹を見るようになってからわかったことですね。
      そうですね、樹高が高いエノキ巨樹もあることを考えると、ある時期に大きく破損して分岐タイプになったのかもしれない。
      お隣さんがいないことで全て一人の力で立ってきたようなものですけど、だからこそその姿は余計に見る者の胸を打つのでしょうか……。

      明治期にそんな行者がいたのかあ……と驚きましたが、逆にそれだけ最近なら、このエノキも既に相当な巨樹だったでしょうし、「ここで」と決めたその思いは共有できそうに思います。
      だとすれば、あとは彼がここまでどんな風にたどり着いたのか。その人生が気になります。
      そこがあえて語られていず、ただエノキの巨樹だけがある。その風景を味わい深く感じました。

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