巨樹たち

新潟県東蒲原郡「将軍杉」

日本最大の巨杉を訪ねる

 幹周囲日本最大の巨大スギ、「将軍杉」を訪ねる。
 日本で最も有名な樹木とさえ言えるカリスマ「縄文杉」よりも太いってことだし、さしずめ「スギ巨樹界の将軍」という意味で名付けられたものではあるまいか?!
 ……いや、この説は間違ってるな。多分。

 とにかく行って、この目で見てみるに限ります。
 新潟巨樹旅の締めくくりとして、いつも通りのろくに下調べしないスタンスで駆けていきました。

 最寄りには「道の駅みかわ」があり(「三川」村はこの辺りの旧地名)、でかでかと「日本一の巨木」のモニュメント看板が見えます。
 おそらく観光バスで見にくるレベルの名所ですが、この先の坂道は案外狭い。
 もしかしたらバスは道の駅に停めて、団体さんたち、ぞろぞろと歩くのかも。

 1517年建造、重要文化財だという「平等寺」を横目に、「→」に従って進むと、スギの群れが視界を阻むように立ちふさがります。
 それこそまるで将軍を守護する部下たちのようではありませんか。
 謁見、ご無礼なきように、などと若干の緊張感を孕みつつ、薄暗い内部を覗き込むと……

 おお! あれぞまさにショーグン!
 もはや書くまでもなく、あまりにも存在感の違い過ぎる巨樹の姿が目に飛び込んできます。

 駆け出したくなる一方で、この「杉による杉のための空間」の厳かな雰囲気がまた非常に印象深い。
 こう書くと将軍というワードから離れてしまいますが、一種、大伽藍の中心に鎮座する大仏を前にした感じに近い気さえしました。
 それも異形の大仏……あるいは阿修羅かもしれない。

 国指定天然記念物として名高い巨樹ですから、すでに書籍やサイトでこの姿を度々目にしています。
 しかし、率直な個人的感想を申しますと、その段階ではあまり好印象ではなかった。
 「これがねえ……これが日本一なのかあ」みたいな。

 その理由は、この、地上すぐの高さから6又にまで分岐した、まるで錨のような樹形にあります。
 もちろんこれは、洞杉芦生杉、土湯杉……などと同様、ウラスギの本性剥き出しの形状ですが、オリンピックで新記録を出すために妙な走り方や跳び方が極まっていくのと似て、限りなく幹周計測に有利な形状だというだけじゃないのか?
 本当にあの超巨大神代杉「杉の大杉」よりも巨大だと言えるのだろうか……? と。

 しかし、現地に身を置くと実感できるのですが、この将軍杉、確かに「デカい」のです。
 この張り出した「エラ」みたいな板状の幹部分、垂直に伸びる幹の太さ、樹高までも、全てが異様なまでの大きさを見せつけてくる。
 そのせいで、まるで自分の身長が半分に縮んだような錯覚に陥ります。

 雨の平日だったせいか、場内ひとりじめ。
 見る角度を変えるごとに迫力の質を変えるこの複雑な樹形に、存分に圧倒されました。

 冒頭の回答、「将軍」=平安時代の将軍「平維茂(たいらのこれもち)
 ここ平等寺は、維茂が阿賀野川で黄金の薬師如来像を見つけ、建立したお寺なのだそうです。

 巨樹に絡む武将と言えば、坂上田村麻呂や源義家を筆頭に伝説的ヒーローが前提。
 この目線で平維茂について調べると、やはりありました。
 「紅葉狩」は、ワタクシごときも歌舞伎座(改築前)で見物したことがあるほど有名な演目ですが、この主人公にして鬼女紅葉と対決するのが平維茂です。
 でもって、さらに追うと、長野県上田市にも、この鬼女紅葉と戦った傷が元で亡くなった維茂の墓(「将軍塚」)があるという……。
(※1)

 スギという樹種の印象を大きく覆される新潟の巨樹旅、中でも、究極がこの将軍杉でしょう。
 しかし、その性質に留まらず、全国・全樹種を視野に入れても特筆すべき質量感、迫力を噴出し、折損や補修の跡は見えるものの、派手な更新まで見せつけ、今も枯れる気配がない。
 「これは確かに!」と肌で感じられる大巨樹でした。

「将軍杉」
 新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷2013
 平等寺
 推定樹齢:1400年
 樹種:スギ
 樹高:40メートル
 幹周:19.31メートル

 国指定天然記念物
 樹種(スギ)幹周全国第1位
 訪問:2023.5

探訪メモ:
 将軍杉用の駐車場は案外狭い。
 雨が強くなり、今回は諦めましたが、平等寺から将軍杉へ続く坂道を上っていった先に「峠の大杉」、下って道の駅「みかわ」を通り越し、阿賀野川の対岸には「卒塔婆様の杉」という巨樹も存在します(Googlemapにも載ってます)。
 阿賀町は天然杉が多い地域、余裕のある方はぜひチェックを。

※1
 えーと、この将軍杉が維茂の墓標樹だったのでは??
 将軍杉側のストーリーとしては、Wikipediaに以下のようにありました。

 将軍杉の名の由来は会津藩初代藩主保科正之によって、過去に著名な人物が会津の地に埋もれていないか調べさせた。
 すると三川の地に平維茂の墓がある事を知り、林鵞峯(はやしがほう・林恕 はやししのぶ)に碑文を作らせ、この杉の傍らにあった平維茂の墓に新たに「鎮守府将軍平維茂碑並銘」を建立した事による。

 このでっかい石柱が今も将軍杉の傍らに立っています。
 「ウチが本家だ!」「いいや、元祖はこっちだ!」みたいに争ってないといいですけれど……。

 将軍杉の推定樹齢が1400年とされるのも、概ねこの流れで、「平維茂没=1022年にすでに巨樹だったから」と設定されたものでしょう。

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