巨樹たち

山形県新庄市「鳥越一里塚のブナ」

珍しい一里塚上のブナ

 山形県新庄市、かなり街中へやってきました。
 市中心部からも近く、コンビニ、自動車店、飲食店が多数並ぶ新庄バイパスが現代の「街道」ですが、それが通ったのも、ここに「旧道」があったから。
 北上する過程、新庄市鳥越の信号で斜左に折れてすぐのところに、ここがかつての「羽州街道」だったことを示す史跡があります。
 そして、それを発見するのは実に簡単。一里塚上を今も巨樹が守っているからです。

 「鳥越一里塚」というのが史跡名、いかにもランドマークとして目立つ形の良い一本立ち木。
 この姿だけでも巨樹好きとしては立ち寄りたくなりますが、「樹種:ブナ」と聞き、一気に優先度が上がりました。
 一里塚と言えばまず何といってもエノキ。秋田ではケヤキ、岩手ではサイカチなんかも見ましたが、ブナがあるとは初耳です。

 ともかく現地で目の当たりにすれば、かなり立派なブナで、さらに驚かされました。
 もはやそこそこの山奥にしか分布していないブナ、しかも幹周3メートルを超える「巨樹」はかなり希少のはず。
 それを、「トヨタカローラ」とか「洋服の青山」の看板と並列にロードサイドで見られるだなんて!

 明らかに幹周3メートル超の幹が、頭上6、7メートルほどまで立ち上がって分岐、こんもりと丸い樹冠を作っている。
 青森県「森の神」のようなオーラはないにせよ、ブナ巨樹として知られておかしくない大きさだと思います。

 根本には少し空洞がありそうですが、根張りの形状によるものなのかも。
 幹の不朽は見当たらないし、樹皮が露出している部分はいかにも硬く重量感がある。
 何度も書いてしまいますが、こんな街中にあるのに、樹勢も悪くはなさそうです。

 残念なのは幹を覆っているツタ植物で、もっと幹の様子が見られたら嬉しかったです。
 この時期、あっという間に繁茂してしまうので、むしり取ってやりたくなりますが……市の天然記念物無許可でよじ登ったり手を加えたりしてはいけないでしょうし。

 徳川幕府が街道筋諸藩に一里塚の建立を命じたのが慶長九年(1604年)とされていることは、秋田県湯沢市の「湯ノ原のつきの木」「吹張の大槻木」の解説からも学びました。
 とすると、これを根拠にブナを樹齢400年と推定したくなりますが、どうなのでしょうか。

 他に歴史考察を深める手がかりと言えば、かの「奥の細道」。
 松尾芭蕉は元禄二年(1689年)にここ新庄を通過したとされていて、その際、

 「水の奥 氷室尋ぬる 柳かな」

 と詠んでいる。
 ブナじゃなくてヤナギ?

 この一里塚を目印に街道を歩んできたことは確実ながら、100メートルばかり先、かつてあった「柳の清水」で喉を潤した体験から上記の句が詠まれたのだそうです(市サイトによれば、現在でも清水跡に句碑が残っている)。

 惜しくも、芭蕉先生はブナの証人とはなってはくれませんでした。
 もっとも、その時代にはまだ特筆すべき大きさではなかったのかもしれませんが。

 「細道の 忘れ形見や 一里ブナ」

 とでも詠んでおきましょうかね。
 俳句じゃなく、ただの説明文になってる? ええ、わかってますよ……(やめとけばいいのに)。

「鳥越一里塚のブナ」
 山形県新庄市鳥越494
 推定樹齢:300年以上
 樹種:ブナ
 樹高:25メートル
 幹周:3.75メートル

 市天然記念物
 訪問:2023.9

探訪メモ:
 今も昔も、下車0分の立地。
 専用の駐車場ではなさそうですが、隣に空き地があり、短時間停めて見学させて頂きました。

 数百メートルの位置には、山形県最大幹周のモミジ「福鐘稲荷のイロハモミジ」もあります。

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