巨樹たち 秋田県湯沢市「湯ノ原のつきの木」 / 6 コメント 街道の一里塚を残すケヤキ 秋田県湯沢市の巨樹探訪。 日本最大のホオノキ「川連のホオノキ」を再訪した後、湯沢市市街地にやってきました。 こんな街中で巨樹を見ることができるという……お寺か、神社か? と普通なら考えますが、そうではないのがユニーク。 「湯ノ原のつきの木」は、道の真ん中にあります。 市役所から少し歩いて行きました。 菅首相が秋田出身だからか「おめでとう菅先生」みたいなノボリがあちこちに。菅首相は湯沢市秋ノ宮出身とのことで……おお、市内なんだ、と(秋ノ宮は温泉があるところで、ちょうどホオノキを訪ねる際に抜けてきました。お家はイチゴ農家だったそうです)。 「湯ノ原温泉」とあるところで、道の向こう、中洲になったような箇所に、鮮やかに黄葉した葉をつけた大ケヤキを見つけることができます。 樹高や枝張りが控えめに抑えられているのは、このような立地ゆえでしょう。 手前にあるのは馬頭観音。ヒンドゥーから派生した菩薩で、民間信仰においては単純に馬の守神、馬の供養仏となっている。 そのはず、ここはかつて本荘・小安街道という日本海から太平洋を繋いだ街道だったらしく、道中の安全祈念をするための場所だったのでしょう。 そして、このケヤキが植えられているのも、何を隠そう一里塚。 一里塚に植える樹といえばエノキを思い浮かべましたが、東北では他にサイカチを植える例も見かけます。 この樹種セレクトについては、早く育って目立つという点に加え、個人的には、樹下で一休みできそうな樹がいいなあ……と思うのですが、どうでしょう。 そういえば、サイカチは馬の薬になるという話もありましたね。 と、ここでは一里塚にケヤキですが、確かにケヤキが大きくなれば、夏の日にその樹下の涼しさは一番かもしれません。 長く生きてくれるし、もちろんよく目立つ目標になってくれます。 幹周囲は地上1.3メートルで5.5メートルほどだそう。 主幹よりも、盛り上がった分岐部の太さが力強く、目を引きます。 今や、アスファルトの中に手狭な陣地をもらっているようなその身、樹勢旺盛とまでは言えなさそうですが、特に黄葉時には、十分足を止めて見て行きたくなりますね。 解説板は樹のそばと、道の反対側にもひとつ。 明治時代の写真(貴重です)が載っていますが、今よりもだいぶ樹高も枝張りも大きかったことが伺えます。 自動車時代になって、枝を短く剪定されたのかもしれませんね。 主幹が高くならなかったのは、雪の重みがかかるせいでしょうか。 巨樹としての天然記念物指定ではなく一里塚が市指定の史跡として登録されているそうです。 当然、ケヤキ自身も塚の一部として認識されて保護されている……ということのよう。 もちろん、ケヤキには窮屈でしょうが、ここに一里塚があった……いや、今もあるのだということを示してくれる、このコンパクトな存在感には親しみを感じました。 そう、この樹は、今でも目印としての機能を今でも立派に持ち続けているのですね。 「湯ノ原のつきの木」 秋田県湯沢市湯ノ原1丁目9 推定樹齢:400年 樹種:ケヤキ 樹高:11.6メートル 幹周:5.5メートル 市指定史跡(一里塚) 訪問:2020.10 探訪メモ: この樹のための駐車場はありません。湯沢市市役所付近、中央公園前の駐車場に停め、街並みを眺めながら歩きました。 この「つきの木」を見たら、同じく一里塚のケヤキである「吹張の大槻木」にも向かいましょう。全国的にも類を見ないような超絶的フォルムのケヤキです。 関連
to-fu 2020年12月2日 at 12:51 PM 返信 まさかの二本立て!トップページからいきなり興奮してしまったではありませんか 笑 菅首相の故郷と聞くと、車避けのポールまで紅白でおめでたいもののように思えてくるから不思議です。それにしても一里塚にケヤキとは珍しい。でも考えてみると確かに必ずしもエノキである必要はないわけで、ケヤキは充分その役目に適してますね。むしろ何故もっと全国的にケヤキが用いられなかったのか不思議です。役割を考えると樹種が統一されていた方がいい、というのは分かりますが。 窮屈ではありますが、この立地が良いですね。完全に歩道を分断してるし間違いなく邪魔だろうに、よく切られなかったものだと驚かされます。人間の営みの中に巨樹が溶け込むことはなかなか難しいことなのかもしれませんが、こう上手く共存していけたらいいんですけどね。京都から奈良に向かう国道沿いにあった一里塚のエノキの巨樹が最近とうとう切られてしまい残念に思っていただけに、この光景を見ると実に暖かい気持ちになりました。
狛 2020年12月2日 at 9:40 PM 返信 to-fuさん> 二本立てすみません! 当然(というと失礼ですが)取り上げたあったのは後者だったのですが笑……いや、こちらのケヤキも見逃せない関係性にあります。 やっぱり珍しいですよね。この他にも失われたケヤキがあるということで、意図的に「ケヤキを植えたい」という意図が見えます。 生長が早くて目立つ樹になるということはまずあるでしょうが、どうしてエノキが多くてケヤキは少ないのか? ……というと、もしかすると、ケヤキは大きくなりすぎる点が(逆に)難点なのかも? と。それは次のケヤキを見て感じたことです。笑 このケヤキをどけて区画を整理したらもっと道幅は広げられるでしょうが、ちゃんとこうして残っているところがお城だった街ですね。 道は使われ続けるがゆえにまっさらに更新されてしまう。そこに隠れた歴史を追う面白みというものを、自分もちょっとだけ味わえたような気分になりました。
RYO-JI 2020年12月2日 at 8:58 PM 返信 ケヤキにとっては気の毒な立地ではありますが、見る方にとってはとても面白い場所。 幹周、樹高とも控え目ですが、周囲環境を含めて惹かれる巨樹だと思います。 道路の真ん中にドン!と存在するからなのか実際よりも太く見えますね。 黄葉した姿もより一層魅力的で撮影も楽しめそうです。 これまであまり多く目にしたわけではありませんが、一里塚の巨樹っていいなぁと思うんですよねぇ。 古くから巨樹が目印になっていた・・・と昔を想像するだけでタイムスリップできそうで(笑)。 to-fuさんがおっしゃる「京都から奈良に向かう国道沿いにあった一里塚のエノキの巨樹」ですが、 実は偶然にも今日その前を自転車で走ったんですよ(笑)。 これまで写真で目にした姿とは大きく違っていたので、それとは気付きませんでした。 『あれ、何か祠のそばに巨樹?』と通りすがりに古い樹木を目にしたので、あれかも・・・。 だとしたら切り株だけになってしまう程に伐採されているのではないのかもしれません(見間違いだったらスミマセン)。
狛 2020年12月2日 at 10:00 PM 返信 RYO-JIさん> そうですね、どちらかというと歴史マニア的楽しみを感じられる場所だと思いました。 湯沢市内自体がそんな感じで、近代化されているからこそ、埋もれたものを探す面白みがあったように思います。 一里塚や巨樹はそれが表面に出ている目印みたいなものですよね。ここから掘っていくと色々見つけられそう。 奈良や九州では古墳とか墳墓だったりするんでしょうが……そこまで大仰でないながらも。 エノキやムクノキは痛みやすいですし、立地ゆえの影響も受けるとなると、近年数が減っているのではと心配になりますね。 かつてはそれこそ一理ごとに大きな樹が見られたのかも。 そう思うと、見られるうちに見ておきたいなと思いますね。
鍋 2021年12月1日 at 2:34 AM 返信 実家がこの近所です。昔は枝ぶりがもっと立派だった印象です。 この付近=湯の原(町内名)は、湯沢の発祥地でもあります。この付近には温泉が2つあります。昔は銭湯代わりに入りにいったものでした。 いなにわうどんで有名な稲庭地区と湯沢市を結ぶ道路でバスの便数も多かったでしたし、この東100mぐらいにある老人ホームは、昔、家政学校(女学校)、更に昔は中学校があり、この往来は大勢の学生の通学路で賑わっていました。 写真を拝見するだけでもホッとします。
狛 2021年12月2日 at 7:53 PM 返信 鍋さん> コメントありがとうございます。 寒くなってきまして、湯沢市は雪が積もってきたのでは……と想像しております。 こちらは太平洋側ですので、ようやく今日初雪が散ったような感じでした。 まさに一里塚という立地に今もあって、目立つ一方で交通の波にさらされて樹としては厳しい環境だろうなと感じました。 同時に、それでも今も堂々としていて、昔の写真も掲示されているなど、地域の方々に親しまれていることがよく伝わりました。 ここと吹張の間は徒歩で歩き回ったのですが、お伝え頂いたような街の雰囲気が味わえたように記憶しています。
6件のコメント
to-fu
まさかの二本立て!トップページからいきなり興奮してしまったではありませんか 笑
菅首相の故郷と聞くと、車避けのポールまで紅白でおめでたいもののように思えてくるから不思議です。それにしても一里塚にケヤキとは珍しい。でも考えてみると確かに必ずしもエノキである必要はないわけで、ケヤキは充分その役目に適してますね。むしろ何故もっと全国的にケヤキが用いられなかったのか不思議です。役割を考えると樹種が統一されていた方がいい、というのは分かりますが。
窮屈ではありますが、この立地が良いですね。完全に歩道を分断してるし間違いなく邪魔だろうに、よく切られなかったものだと驚かされます。人間の営みの中に巨樹が溶け込むことはなかなか難しいことなのかもしれませんが、こう上手く共存していけたらいいんですけどね。京都から奈良に向かう国道沿いにあった一里塚のエノキの巨樹が最近とうとう切られてしまい残念に思っていただけに、この光景を見ると実に暖かい気持ちになりました。
狛
to-fuさん>
二本立てすみません! 当然(というと失礼ですが)取り上げたあったのは後者だったのですが笑……いや、こちらのケヤキも見逃せない関係性にあります。
やっぱり珍しいですよね。この他にも失われたケヤキがあるということで、意図的に「ケヤキを植えたい」という意図が見えます。
生長が早くて目立つ樹になるということはまずあるでしょうが、どうしてエノキが多くてケヤキは少ないのか?
……というと、もしかすると、ケヤキは大きくなりすぎる点が(逆に)難点なのかも? と。それは次のケヤキを見て感じたことです。笑
このケヤキをどけて区画を整理したらもっと道幅は広げられるでしょうが、ちゃんとこうして残っているところがお城だった街ですね。
道は使われ続けるがゆえにまっさらに更新されてしまう。そこに隠れた歴史を追う面白みというものを、自分もちょっとだけ味わえたような気分になりました。
RYO-JI
ケヤキにとっては気の毒な立地ではありますが、見る方にとってはとても面白い場所。
幹周、樹高とも控え目ですが、周囲環境を含めて惹かれる巨樹だと思います。
道路の真ん中にドン!と存在するからなのか実際よりも太く見えますね。
黄葉した姿もより一層魅力的で撮影も楽しめそうです。
これまであまり多く目にしたわけではありませんが、一里塚の巨樹っていいなぁと思うんですよねぇ。
古くから巨樹が目印になっていた・・・と昔を想像するだけでタイムスリップできそうで(笑)。
to-fuさんがおっしゃる「京都から奈良に向かう国道沿いにあった一里塚のエノキの巨樹」ですが、
実は偶然にも今日その前を自転車で走ったんですよ(笑)。
これまで写真で目にした姿とは大きく違っていたので、それとは気付きませんでした。
『あれ、何か祠のそばに巨樹?』と通りすがりに古い樹木を目にしたので、あれかも・・・。
だとしたら切り株だけになってしまう程に伐採されているのではないのかもしれません(見間違いだったらスミマセン)。
狛
RYO-JIさん>
そうですね、どちらかというと歴史マニア的楽しみを感じられる場所だと思いました。
湯沢市内自体がそんな感じで、近代化されているからこそ、埋もれたものを探す面白みがあったように思います。
一里塚や巨樹はそれが表面に出ている目印みたいなものですよね。ここから掘っていくと色々見つけられそう。
奈良や九州では古墳とか墳墓だったりするんでしょうが……そこまで大仰でないながらも。
エノキやムクノキは痛みやすいですし、立地ゆえの影響も受けるとなると、近年数が減っているのではと心配になりますね。
かつてはそれこそ一理ごとに大きな樹が見られたのかも。
そう思うと、見られるうちに見ておきたいなと思いますね。
鍋
実家がこの近所です。昔は枝ぶりがもっと立派だった印象です。
この付近=湯の原(町内名)は、湯沢の発祥地でもあります。この付近には温泉が2つあります。昔は銭湯代わりに入りにいったものでした。
いなにわうどんで有名な稲庭地区と湯沢市を結ぶ道路でバスの便数も多かったでしたし、この東100mぐらいにある老人ホームは、昔、家政学校(女学校)、更に昔は中学校があり、この往来は大勢の学生の通学路で賑わっていました。
写真を拝見するだけでもホッとします。
狛
鍋さん>
コメントありがとうございます。
寒くなってきまして、湯沢市は雪が積もってきたのでは……と想像しております。
こちらは太平洋側ですので、ようやく今日初雪が散ったような感じでした。
まさに一里塚という立地に今もあって、目立つ一方で交通の波にさらされて樹としては厳しい環境だろうなと感じました。
同時に、それでも今も堂々としていて、昔の写真も掲示されているなど、地域の方々に親しまれていることがよく伝わりました。
ここと吹張の間は徒歩で歩き回ったのですが、お伝え頂いたような街の雰囲気が味わえたように記憶しています。