巨樹たち

福島県双葉郡「前田の大スギ」

あの日を決して忘れない

 あの日……3.11からもうすぐ12年が経とうとしています(2023年)。
 いや、3.11に限らず、過去に激烈な災害が見舞わなかった土地はほとんどないこの「災害大国」。
 決して挫けることなく復興が行われてきたはずですが……

 大震災後に生まれた子供たちが自らの意思で未来へと歩もうとしている今も、時が止まったままの土地がある。
 そして、そこにずっと立ち続けている巨樹があります。
 「前田(まえた)の大スギ」と言います。

 双葉町の全住民避難指示が解かれたのは、つい2022年8月30日のことで、災害から11年5カ月ぶりに定住が可能と示されました(福島民報の記事)。
 しかし、「じゃあ自分も行ってみたい!」なんて気分になれるはずがない。
 ……ただ結局今回も、そこぽつんと巨樹が立っていると知って、向かわずにはいられなかった。
 それが包み隠さない本音です。

 Googlemapを開いたところ、一か月前と、ほんの数日前にも訪ねた方のレビューがあり、このリアルタイム感がなければ、おそらく自分も出発しなかったはずです。
 同じmap画面のすぐ右下辺りに、今も燻り続ける禍いが表示されるのだから。

 かくして、支障なく双葉町に到達しましたが、ストリートビューでの予習とは風景がまるで違っている。
 ここには町……の残骸が広がっているはずで、あの日、ろくな荷物も持たずに避難させられた方々を想うと、踏み込む勇気が出るだろうかと……あらゆる意味で「ダメなら引き返そう」と覚悟していたのに。
 周囲はほとんど更地化され、大杉の樹冠が遠くからもよく目立つようになっていました。

 どうしても土地に対する記述が多くなるのをお許しください。
 改めて、「前田の大スギ」です。
 これは大きい! 巨樹好きを思わず小走りにさせる迫力があります。
 幹周囲7.7メートル、見事な単幹のスギで、雰囲気が似ている宮城県「平沢弥陀のスギ」をも思い浮かべました。

 これはしっかり撮らないと! と三脚を取りに行く際、集会場の壁には、こんなパネルがある。
 あの災害後に付けられたとしたら皮肉の他何でもない。
 双葉町や大熊町が「原子力の町」だった名残……何にせよ心が痛みます。

 トップの写真に写っていますが、集会場の陰にあるソーラーパネルの機器は放射線量測定器で、この時の線量は0.137μSv(マイクロシーベルト・毎時、0.23以上を基準として除染対象になる)らしく、もう特に高くはないようです。

 ……本当に、この土地でなければ、いつまでも惚れ惚れと見上げていたいような大杉。
 福島浜通りで最大とも謳われるそうですが、その通り、南相馬の「大悲山の大スギ」ともいい勝負をすると思う。
 時期柄、雄花が花粉をどっさりつけていましたが、スギの生命感を示すものとして、微笑ましいくらいです。

 所々、枝がクロスして接触している箇所がある。
 解説板にある「奇態」が何なのかはちょっとわかりませんでしたが、癒着・連理があるのかもしれない。

 そう、福島県南相馬市の巨樹「大悲山の大スギ」「行津の大杉」を訪ねたのは2019年の一月。あれらも記憶に残る巨樹でした。
 大震災から8年が経過していたとはいえ、バイク通行禁止、除染対象の土砂を積んだダンプが連なって走る光景には息が詰まりました。
 あの当時、双葉町と大熊町はまだバリケードの中。
 住民の方々が我が家に戻れずにいたのですから、よそ者の立ち入りが許されるわけがありません。
 ……今、まさにその場所に立っている。
 感慨がなかったといえば嘘になります。

 神社の前の道路沿いにも、背の高いスギがぽつんと一本。
 並みの植林スギよりも大きく、百年以上はここに立っていそう。 
 「稲荷前」という地名が指すように、かつては懐に稲荷神社をいだく集落であり、時代をさかのぼれば、ここも神社の参道だったのかも……と思い浮かんできました。
 今や、取り壊しを待つ廃屋がぽつぽつ並ぶ荒涼とした風景。
 この土地にかける言葉が見つからない……それが正直な感想です。

 

 禁断の扉を開けてしまったということなのか。
 完全に使いこなせる日まで、このような風景を見て見ぬふりし続ける定めなのか……。

 一方で、更地にすることすら、ここでは前進と言えるとも思う。
 そして、最後の最後まで残る物体化した記憶がこの大杉かもしれない。そう感じました。

「前田の大スギ」
 福島県双葉郡双葉町前田稲荷前27
 稲荷神社
 推定樹齢:不明
 樹種:スギ
 樹高:21メートル
 幹周:7.7メートル

 県指定天然記念物
 ふくしま緑の百景
 訪問:2023.2

探訪メモ:
 Googlemapをズームしていくと、福島第一原発との位置関係が実感できると思います。
 各種情報が「安全」ハンコを押してくれていても、この空気、この圧は、いまだ拭いきれないものがあります。

 大スギから北西方向、県道256号線沿いにある「観音堂のイチョウ」もGooglemapに載っており、この際だと寄ってみました。
 巨樹として特筆すべき大きさではないものの、今でもすっくと立っており、黄葉の時期がくれば見事でしょう。

 東北に住んでいてさえ、双葉町・大熊町の現在の風景を知る機会が多いわけではありません。
 今回、「前田の大杉」を訪ねた道中だけでも、そのリアルを目に焼き付けることになりました。

 (左上から時計回り)
 空が晴れていたのは双葉町役場と双葉駅前を通った時だけ。復興していたのも、この一角だけです。
 少し離れた市街地に作業員の方以外の人影はなく、取り壊しを待つ廃屋が並ぶ。
 まるで去年大震災があったと言われても頷けてしまう……。
 市街地を抜けると、「帰還困難区域」「通行止め」の看板が目につく。この後、吹雪になりました。
 雑木林や山は除染できないので、今もバリケードで塞がれ、各所に警備員の方が駐在しておられました。

4件のコメント

  • to-fu

    ああ…これは。
    東日本大震災に関しては遠い関西の地に住んでいることもあって、どうも非現実的と言いますか、心のどこかで
    インドネシアのボルネオ島の山火事のような遠い地での出来事のように感じる部分があるのですが、
    こうして生の写真を見るとこれは間違いなく自分が暮らす日本で起きたことであり、いつ自分の身に
    降りかかってもおかしくない現実なのだと痛感させられます。

    毎年3月11日の報道が流れるタイミングで防災用品のチェック(というか、主に消費期限が迫る非常食を入れ替える作業)を
    しています。狛さんの写真を見ていると、この一年間また防災用品のお世話にならずに済んだのは幸運なのだと気持ちが
    引き締まりましたよ。どうしても気が緩んで「めんどくせえなあ」が来てしまうのですが、めんどくせえと思える
    平穏な一年を過ごせてよかった。

    それにしてもこの立派な大杉。
    人の社会がどうなろうが巨樹はただ巨樹の生命を全うする。ある種これは日本中に点在する限界集落の巨樹の近い将来の
    姿なのかもしれない、と自分が訪れたたくさんの山奥の集落の巨樹を連想してしまいました。
    集落へと続くきれいな道路だっていずれ維持が難しくなるだろうし、車で気軽に日本中の巨樹を巡れること自体、
    人間の長い歴史の中でも非常にレアな体験をさせてもらっているのかもしれませんね…

    長々とすみません。巨樹そのものへの感想というよりは背景の考察みたいになってしまいました。

    • to-fuさん>
      毎年、この日が来るたび、自分の人生を思い返します。
      大きな何かを直接失わなかったのは幸運でしたが、あの時東京にいなかったら全然違った今があるんだろうな……と今年も思う。
      違う地方で別の災害に見舞われた方も多くおられ、南海トラフ大震災も30年以内8割の確率の「現実」。
      3.11の記憶と知見はこれからますます伝えられ、活かされないといけないですね。
      その通り。めんどくさいなあ、は平穏の証拠ですよね。
      我が家も非常食の点検と入れ替え品の注文をしましたが、すごくめんどくさい。笑
      車中泊とかひとり旅のグッズや経験がまあまあ活きるところもあるし、「めんどくさい」を呟きながら何かしらやる習慣を守っていきたいものですね。

      「前田の大杉」が想像以上に「大杉」だったことが、このタイミングで双葉町を訪れるきっかけとなってくれました。
      そう……ある意味でこの周囲は現在が底で、これから急ピッチでリセットと復興を目指すのでしょう。
      自治体や国としても、是が非でも復興させねばならないはず。
      その背後で、まったく静かに消え行っていく限界集落もある……ここもまた日本の険しさ、広さ深さを感じます。
      どのレベルまでの険しさまで踏み入れるのかはわかりませんが、巨樹を手がかりに、何らか見えにくいものを明らかにできそうなところに意義を感じます。
      重い話題になってしまいましたが、「前田の大杉」、どうしても載せておくべき巨樹だと感じました。
      いつもながら、見て頂いてありがとうございます!

  • RYO-JI

    to-fuさんと同じく遠く離れた地に住む者としては、年月の経過とともに3.11は非現実的な出来事に感じられてなりません。
    しかしこの日をむかえるたびに、災害の凄惨な様子を伝える報道の映像が甦ってきます。
    まるでド派手でリアルなハリウッド映画のような災害が本当に起こった事実に恐怖を感じました。
    当時はいくばくかの寄付以外は何もできなかった自分、その後も被災地を見て回ることすらできずに12年も経ってしまいましたが、
    狛さんは復興途中にある町や、依然として爪痕が残る場所、荒涼とした土地を見て回られたんですね。
    それはとても意義があることだと思いますし、勇気ある行動だと思います。

    この大杉は被災地にあるということを差し引いても立派な存在ですね!
    周囲が開けていそうなので落雷や強風で被害を受けることも心配されますけど、あの震災を生き抜いたくらいですから
    今後もこの土地の象徴として長く生き続けて欲しいですね。

    • RYO-JIさん>
      世の中には数多くの大災害が存在するもんで、例えばミサイル攻撃や、レバノンでは硝酸アンモニウムの大爆発なんてものもありましたね。
      それらを並べて考えてみたとしても、およそ最悪なのが津波だと思います。
      あの威力、流体という予想不能さ。日本の場合、原子力災害も高確率でプラスされる。
      たまたま旅行か出張でいる外地で津波に遭った人もいるし、できるだけ多くの方が東日本大震災の知見を記憶してほしいと願っています。

      「前田の大杉」、巨樹として十分見応えのある大杉でした。
      ここまで大きいとは思ってなかったので、素直に嬉しかったです。
      多くの人に注目され、再びこの地域・集落の中心となっていってくれればいいな……と思いました。

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