巨樹たち

宮城県刈田郡「平沢弥陀の杉」

「此大杉ヲ 永世伐ラセナイデ下サレ」

 仙台市街から1時間ほど南下、蔵王連峰を山形県と分け合う蔵王町を訪ねました。
 そう書くと山装備が必要か? と思われそうですが、今回の巨樹はほぼ街中といっていい所在です。
 「平沢弥陀の杉」。宮城県でも屈指の大きさを誇る巨杉だそうです。

 目印の蔵王町立平沢小学校から少し西へ。基本的にはGooglemapや「みやぎ蔵王観光navi」などで予習できます。
 古びた街並みの入り組んだ道は徐々に細くなる。
 「だるま杉→」という、このスギの別名を記した看板が目に入るところまで来れば、見間違いようもありません。

 明らかなオーラを感じ、しかし、樹冠の格好は少し個性的。
 遠目には2、3本の林立にさえ見ましたが、この通りの大きさ、枝張りの広さ。
 書籍で受ける印象をも大きく塗り替える巨樹でした。

 目通り幹周は8.4メートル。
 これは間違いなく、このスギの最も引き締まった箇所で計測した数値ですね。
 そこから広げている大枝の太さ、その根本の塊感は、間近で見ると驚異的なボリューム。
 一番太い箇所を測定すれば、10……いや、12メートルほどはあるのではないでしょうか。

 タイプとしては巨大なウラスギでしょうか。
 放射状に広げていた樹冠の一方向は大きくもげてしまったらしく、傷痕になっています。

 スギの足下にはいろんなモノがある。
 本当にいろいろある……見下ろすお堂のそばにも数々解説がありますが、それはここ一帯が史跡・文化財として登録されているからのようです。

 江戸~明治の産科医、五十嵐汶水(ぶんすい)は、西洋医学も心得、出生率向上に尽力したそう。
 西洋医学を受け付けなかった当時の庶民には、「だるま講」という新興宗教?をつくり、わかりやすく医術を浸透させたともあります。
 スギの根元には彼が遺したらしき石碑なども多く、カナ混じりでかろうじて読めるそれらを辿るのも面白い。
 「コケの行者、トボケ汶水、愚鈍庵」……などとあり、豊富なアイデアと実行力、ユーモアを持ち合わせる汶水には、かなり現代的な起業家のような印象を抱きました。

 場の空気もじめじめとしてはいず、巨大かつ豪快なスギとともに、魅力ある史跡だと感じました。
 汶水サンの遺した思想・思考とともに、地域にとても大切にされていることもわかる。
 お堂はきれいに掃除されており、皆さんで整備されたのでしょう、水洗のトイレまである(靴を脱いでスリッパを履いて使う)。

 巨樹がいつ植えられたものかは定かではなく、平安時代、樹齢900年という伝承もある。
 江戸中期、このスギを意識した周囲樹木の伐採は史実らしいので、樹齢500年程度は固そうです。

 巨樹に必ず襲う伐採の危機に立ち向かったのも、前述の五十嵐汶水、そして彼が創始した「だるま講」だったようです。

「遺願 村役方 此大杉ヲ永世伐ラセナイデ下サレ」

 ……今も直に読めてしまう嘆願に胸を突かれます。
 昭和に入って再度このスギは倒されそうになったそうですが、地元の方々が体を張って守ったそうです。
 斧傷には餅を詰めて回復を願ったともある。なんだか涙が出そうです。

 今では老朽もあり、空洞化しているらしい幹の少なくない部分に餅ならぬ樹脂を詰めて補修がされている。
 巨大な支柱や、周囲の整備などにも高額なお金がかかったはず。
 この樹と汶水が残した歴史がいかに大切にされているかが感じ取れます。
 この、人と巨樹との心温まる関係は、長野県「月瀬の大杉」をも彷彿とさせました。

 古い書籍の写真と比べると周囲の整備が進み、スギの樹勢も良くなっているように感じます。
 人々の思いは確かに通じている。
 そう言ってよいと思います。

「平沢弥陀の杉」
 宮城県刈田郡蔵王町平沢丈六78−1
 推定樹齢:850年以上
 樹種:スギ
 樹高:50メートル
 幹周:8.4メートル

 県指定天然記念物
 訪問:2020.1

探訪メモ:
 スギ手前のお堂のところに2、3台停められるスペースがあります。
 先客がいると出し入れに苦労するかもしれません。

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