巨樹たち 北海道夕張郡「阿野呂一本木」 / 0件のコメント 人命を救った一本のハルニレ 巨大な樹木の迫力に打たれる体験こそ第一とはいえ、歴史や物語を背負って今も生き続ける巨樹の姿にも、強く胸を打たれるものがあります。 北海道ではスギやクスの巨樹は育たず、大きさの数値だけ追ってしまえばがっかりすると断じられてしまいそうです。 しかし、豊かな反面厳しい環境は、人と樹の物語を数多く生んでいる。 今回の北海道巨樹行の最初に訪ねた「不思議な泣く木」もそんな一本でしたが、夕張近郊にも歴史を刻む樹があると知り、迂回して寄ってみました。 「阿野呂(あのろ)一本木」、これもまたハルニレの樹です。 一目瞭然、だだっ広い平野部を貫く路肩に一本だけぽつんと立っています。 道路にきわめて近い。 勘の良い人なら、この姿だけからでも特別な意味を感じ取れるのではないでしょうか。 大きなハルニレで、まっすぐな単幹はよく身がしまって硬そうです。 おそらく直径1メートル(幹周囲3メートル)は超えていると思われ、巨樹と定義づけられるラインはクリアしていると思います。 損傷や不朽も少なく、夜は真っ暗であろうこの道で車が衝突したりしないものか……と危惧しつつも、そうなったら逆に車が大破しそうな強固さを感じました。 隣にはその名も「一本木」というバス停があります。 前述「泣く樹」は落雷にひどくやられていましたが、こちらは樹勢も悪くはなさそうで、車道にかかる枝は剪定されているようです。 と、多少じっくり観察しても、樹の姿形からは神がかったものや異常な何かを感じません。 撮っても撮っても飽きないんだよ! というような部類の巨樹ではない。 ではそろそろ、なぜこの樹がここに残されているか、その物語を読み解いてみるとしましょう。 信仰対象になっている巨樹はたくさんありますが、この「一本木」は実際にひとりの人の命を救ったことがある。 この周囲は夕張川および阿野呂川の氾濫にたびたび襲われたそうですが、特に1898年の洪水被害は甚大だったそうです。 「唯一」という表記が妙に克明で恐ろしい……。 ネットで調べてみると、以下の研究論文に行き当たりました。「夕張川1898年洪水の 被災状況および氾濫形態の検証 – J-Stage 鈴木英一 著 – 2012」 開拓段階での大洪水で、マッチ工場や鉄道も流され、石狩川流域全土で112名もの死者を出した(夕張川、アノロ川も石狩川水系)。 この「マッチ工場の流出」こそが、まさにこの樹にまつわる部分であり、最悪の被害を出した出来事でもあります。 [9月6日の午後9時頃] 夕張川沿いの多良津に建てられたマッチ軸工場に住む者が川岸に出て様子を見に行ったが,平水よりも三尺(90cm)程の増水で案ずるに及ばないと寝に就いた. [午後11時頃] 轟々たる響きに目覚めて都外へ出ると,周囲は洪水で漲っており,その工場に宿泊していた家族を含め35名が避難しようとしたが低地に立っていたため避難することができず,やむなく工場の屋上に上り,救助を求め叫んでいた.しかし,急激な流れと共に大木や樹根が家にぶつかる. [翌朝5時半] 遂に,工場は三十余人を屋根に乗せたまま浮き上がり,数キロ流された先で転覆し34名が死亡し,1名だけが阿野呂学田に立つ樹木にしがみつき運よく助かった. 「アノロ方面の水勢は,角田を外れ抜きて字七戸・三日月等を真っ向に衝き,大破壊を演じて突進せんとせしが,樹林の防ぐるところとなり, 数千の樹木を倒して激流二分し」 と記録されており,この二分した高速流の下流側で20数名,対岸側で15名の死者を出したとされている. ……言葉を失ってしまいます。 集落が全滅したというのは誇張ではなかった……その中で、この樹は、たったひとりの生存者とともに生き残った。 近年、日本各地で頻発している災害が思い浮かんでもきます。 同研究資料ではこの洪水の水量などの計算も行なっており、現在の防災に活かそうという主題でした。 「2011年現在、上流に治水目的を持つ夕張シューパロダムを建設中である。ダム完成後にはこの地域は治水安全度が飛躍的に向上することとなる。」 ともあります。 とにかくも、災害犠牲になった方のご冥福をお祈りします。 「一本木」は墓標代わりとも言えるでしょう。 樹に歴史あり。人との関わりと思い入れは本州以上に深い。 北海道で大きな一本立木を見かけたら、それは、そういう樹かもしれません。 「阿野呂一本木」 北海道夕張郡栗山町 推定樹齢:200年以上 樹種:ハルニレ 樹高:25メートル程度 幹周:3メートル程度 道指定記念保護樹木 訪問:2018.10 探訪メモ: 北海道のサイトで、記念保護樹木一覧の資料を発見。 幹周等のデータの代わりにエピソードが付されていて大変興味深いです。 これこそが北海道の樹木個体の巡り方なのかもしれませんね。 関連