巨樹たち 富山県魚津市「大沢の地鎮杉」 / 4 コメント 鎮守の古老立山杉 富山県魚津市、立山杉の巨樹探訪。 先に訪ねた「黒沢稲荷の大杉」から1キロ程度、県道を東へ進んでいくと、この「大沢の地鎮杉(じちんすぎ)」に出会えます。 集落内の狭い上り坂を上って行くと、左手に素通りを許さない巨大な姿が見えてくる。 手前はお墓と畑。足元は藪。観察する方向は限られますが、根幹が大きく二又に分岐しているのは一目で確認できる。 洞杉の面影すら重なる、いかにも天然の立山杉というこの感じ。 県指定天然記念物。魚津市内で県天のスギは他にないため(洞杉をはじめ無指定の大物が多すぎる!)、環境省巨樹DBで幹周1180センチとされている個体がこの「地鎮杉」であろうと見ます。 が、このような樹形のため、計測値には諸説あって当然でしょう。 魚津市の観光サイトによれば、「根際の幹廻りは12m、目通り幹廻り 8.5~10m」とあり、フェアな数値ではないでしょうか。 季節柄、つる植物の勢いが旺盛。こんな巨大なスギでもあっという間に呑み込んでしまいそうです。 この手前、上り坂に差し掛かるところでまるで武家屋敷のようなお宅の横を通りますが、スギの前の立派なお墓も土地の名士・大沢家のもの。 この地を開拓した平家の末裔にあたるそうで、「地鎮杉」と命名したのもおそらく彼らの先祖のはず。 外地から来た身として、地霊を鎮め、共生していきたいという願いがあったのではないでしょうか。 平安時代末期、1185年4月25日の「壇ノ浦の戦い」で敗れ、平家が滅亡。残党の逃避・隠棲は伝説化し、日本中に点在することになる。 「地鎮杉」の推定樹齢が500~800年と幅を持たされているのもそこからの逆算があるはずで、仮に800年だとすれば手植えされた可能性も皆無ではなさそう。 一方で、天然杉であるという点に焦点を置くなら、平家の落人たちはこの樹だけを切らずに残したと想像するべきか。 同じく平家の隠れ里のものだという徳島県「五所神社の大スギ」も天然杉のようで、やはりこの一樹をもって地霊と交渉を持とうとする「地鎮のスギ」のように思えてきました。 冷たい風とともに大粒の雨が叩きつけ、傘を差しながらの撮影に。 裏側に回ると、平成3(1991)年の台風19号による大きな損壊が目に入ります。 背面全体に渡って幹が裂けた痕があり、樹脂のようなもので修復されている。この被害により、丸かったと思しき樹冠が非対称になってしまった。 しかし、正面の支えも含め、かなりコストをかけて高度に処置されているのを見ると、この巨樹の存在意義の大きさがなおさら強く伝わってきます。 そう、大きなダメージを被ってしまった巨樹にも「その後」がある。 「以前より見栄えしなくなった」とか「残念である」で結ぶのはやめようぜ。と、そう思いました。 そうした記述に探訪者が気をそがれ、埋もれて消えていく巨樹もあるかもしれない。少なくともプラスにはならない。反省したいところです。 その点、「大沢の地鎮杉」には、樹形をいびつにしながらも事前の想像を蹴散らすほどの樹勢がある。 天然杉の本領というものでしょうか。恐れ入るパワフルさで、撮っていても楽しかったです。 比較的若手と呼べるかもしれない「黒沢稲荷の大杉」ともまだまだコンビを組める、現役の巨杉と呼べそうです。 「大沢の地鎮杉」 富山県魚津市大沢 推定樹齢:500年 樹種:スギ 樹高:30メートル 幹周:10メートル 県指定天然記念物 訪問:2024.6 探訪メモ: 至る坂道は離合困難。 スギの少し先に集落のごみ収集スペース前につかの間停めさせて頂きました。 上記した「黒沢稲荷の大杉」も大変すばらしい巨杉ですので、セットでご訪問を。 魚津市の天然記念物といえば「埋没林博物館」は外せませんが、超巨大な古代スギの水中展示室内に「地鎮杉」の折れた幹の一部が保存されています。 写真左上に立っているのがそれ。これだけで一抱え以上もの太さがあります。 巨樹実物とともに見ると感慨深いですよ。 関連
to-fu 2024年6月26日 at 8:53 PM 返信 こちら、たぶん知名度的には稲荷の大杉よりもずっと上なのでしょうね。 洞杉初回訪問前から私のマップにチェックが入れてあった巨樹です。なのにまだ未訪問… このスギ、今現在の姿でももちろん立派なんですけど、損傷前の姿を脳内に描いてみるととんでもないバケモノですね。 もし健康なまま成長を続けていたら全国的に名の知られる有名巨樹になっていたのかもしれません。 が、狛さんの仰るように損壊したから無価値だというわけではなく、そもそも我々が知る巨樹の姿なんてせいぜいこの 数十年内に撮影された写真ばかりで、その姿にしたって数百年生きる巨樹が恐らく何度も損壊して再生して、一個体の生命の中で 輪廻転生が如きサイクルを繰り返してきた姿だと思うんです。生々しい傷跡を見るとやはり無念だし悲しい気持ちにもなる。 それでも良いも悪いもまとめて咀嚼して一つの生命と向き合うことには大きな意義があると思いますね。カッコイイ!スゴイ!だけじゃあね。 (しかし、あまりに無碍に扱われていて嫌な気持ちになって帰ったことも多々…なので、あまり人様におすすめ出来ないのも事実です。) 巨樹めぐりを初めて間もない頃に「小浜神社の九本ダモ」の成れ果てた姿を見て、死してなお放たれる圧倒的オーラにゾクゾクしたのを思い出しました。
狛 2024年6月27日 at 8:48 AM 返信 to-fuさん 「埋没林博物館」とのリンクもあるので、その名は早めに頭に入ってきつつ、即時に「大きく損壊」という情報も上書きされる地鎮杉です。 魚津では洞杉だけしか見ていなかったので、洞杉と里のスギを無意識に区別していたところもあったと思うんですが、今回の洞杉とともに「黒沢稲荷」「地鎮杉」と見て、どちらも立山杉の全体の中に捉えられたように感じました。 洞杉の凄まじい形状は果てしないストレスの末に出来上がるもので、あれを悲観的に捉えないのであれば、地鎮杉もまだまだこの先があるぞと言っていいはず。 我々は「今現在」というほんの一時でしか切り取れませんが、立山杉の巨樹たちにはそれとはある意味無関係の尺度で、めいっぱい大きく長く生き続けてほしいという願いもあります。 そう、見たいし、思考したいし、信仰したい。とにかく放っておけないのが我々人間で、そのために地球環境は大きく変革され続ける。 その境界面にいるのが、存在を記録されたこういった巨樹たちなんだなと。 人間の印象や思考は操作できる。だったら逐一プラスの方向に傾けていければ万々歳のはず。 信仰を伴って人とともに長くやってきた巨樹を見るたび、そう思ってしまうんですね。 少なくとも、巨樹だとか森林だとか地球環境自体を操縦するより簡単で可能性もあるはずなんですが……価値計算とか戦争ばっかりしてる。 こう、文句なくスゴい巨樹の元で思考してみると、人間ってメチャクチャな存在ですよねえ……。
RYO-JI 2024年6月27日 at 10:04 PM 返信 狭い坂道を登っているとズドンと目の前に現れる様を思い出しました。 一目でわかる存在に車内で『おお~』と声が漏れたのを覚えています。 その特徴的な姿はインパクトがあって脳裏に刻み込まれました。 スギの巨樹としてのサイズ感も充分で、大きく傷付きながらもまだまだ樹勢も良く、その生命力や逞しさを実感しましたね。 このスギは寺社にある訳じゃなく、人通りが多い場所にある訳でもありませんが、限られた人と関わりがあるスギですよね。 治癒・修復された跡からは人工的な気配をどうしても感じてしまいますけど、それでも大切にされていることは伝わってきます。 富山はどうしても洞杉の印象が強烈なので影が薄くなりがちですが、稲荷の大杉ともども満足度の高い巨樹でしたよ。
狛 2024年6月28日 at 4:19 PM 返信 RYO-JIさん 上り坂の上にあるので、途中まで見えず、見えた時には仰ぎ見る感じでしたね。 周囲環境も、こういうところなのかと。開けた場所ではありつつ寺社境内などではないんだと。集落の中心にあるような雰囲気も受けました。 想像以上の樹勢についてもそうで、ホホーウ! と感嘆があり、やはり資料の写真1、2枚では実感できないことが色々あるものです。 最近存在が明らかになった洞杉の何倍も長く人の記憶にあったのはこのスギなんだなあと、人との数百年の歴史を想像するのも興味深かったですね。
4件のコメント
to-fu
こちら、たぶん知名度的には稲荷の大杉よりもずっと上なのでしょうね。
洞杉初回訪問前から私のマップにチェックが入れてあった巨樹です。なのにまだ未訪問…
このスギ、今現在の姿でももちろん立派なんですけど、損傷前の姿を脳内に描いてみるととんでもないバケモノですね。
もし健康なまま成長を続けていたら全国的に名の知られる有名巨樹になっていたのかもしれません。
が、狛さんの仰るように損壊したから無価値だというわけではなく、そもそも我々が知る巨樹の姿なんてせいぜいこの
数十年内に撮影された写真ばかりで、その姿にしたって数百年生きる巨樹が恐らく何度も損壊して再生して、一個体の生命の中で
輪廻転生が如きサイクルを繰り返してきた姿だと思うんです。生々しい傷跡を見るとやはり無念だし悲しい気持ちにもなる。
それでも良いも悪いもまとめて咀嚼して一つの生命と向き合うことには大きな意義があると思いますね。カッコイイ!スゴイ!だけじゃあね。
(しかし、あまりに無碍に扱われていて嫌な気持ちになって帰ったことも多々…なので、あまり人様におすすめ出来ないのも事実です。)
巨樹めぐりを初めて間もない頃に「小浜神社の九本ダモ」の成れ果てた姿を見て、死してなお放たれる圧倒的オーラにゾクゾクしたのを思い出しました。
狛
to-fuさん
「埋没林博物館」とのリンクもあるので、その名は早めに頭に入ってきつつ、即時に「大きく損壊」という情報も上書きされる地鎮杉です。
魚津では洞杉だけしか見ていなかったので、洞杉と里のスギを無意識に区別していたところもあったと思うんですが、今回の洞杉とともに「黒沢稲荷」「地鎮杉」と見て、どちらも立山杉の全体の中に捉えられたように感じました。
洞杉の凄まじい形状は果てしないストレスの末に出来上がるもので、あれを悲観的に捉えないのであれば、地鎮杉もまだまだこの先があるぞと言っていいはず。
我々は「今現在」というほんの一時でしか切り取れませんが、立山杉の巨樹たちにはそれとはある意味無関係の尺度で、めいっぱい大きく長く生き続けてほしいという願いもあります。
そう、見たいし、思考したいし、信仰したい。とにかく放っておけないのが我々人間で、そのために地球環境は大きく変革され続ける。
その境界面にいるのが、存在を記録されたこういった巨樹たちなんだなと。
人間の印象や思考は操作できる。だったら逐一プラスの方向に傾けていければ万々歳のはず。
信仰を伴って人とともに長くやってきた巨樹を見るたび、そう思ってしまうんですね。
少なくとも、巨樹だとか森林だとか地球環境自体を操縦するより簡単で可能性もあるはずなんですが……価値計算とか戦争ばっかりしてる。
こう、文句なくスゴい巨樹の元で思考してみると、人間ってメチャクチャな存在ですよねえ……。
RYO-JI
狭い坂道を登っているとズドンと目の前に現れる様を思い出しました。
一目でわかる存在に車内で『おお~』と声が漏れたのを覚えています。
その特徴的な姿はインパクトがあって脳裏に刻み込まれました。
スギの巨樹としてのサイズ感も充分で、大きく傷付きながらもまだまだ樹勢も良く、その生命力や逞しさを実感しましたね。
このスギは寺社にある訳じゃなく、人通りが多い場所にある訳でもありませんが、限られた人と関わりがあるスギですよね。
治癒・修復された跡からは人工的な気配をどうしても感じてしまいますけど、それでも大切にされていることは伝わってきます。
富山はどうしても洞杉の印象が強烈なので影が薄くなりがちですが、稲荷の大杉ともども満足度の高い巨樹でしたよ。
狛
RYO-JIさん
上り坂の上にあるので、途中まで見えず、見えた時には仰ぎ見る感じでしたね。
周囲環境も、こういうところなのかと。開けた場所ではありつつ寺社境内などではないんだと。集落の中心にあるような雰囲気も受けました。
想像以上の樹勢についてもそうで、ホホーウ! と感嘆があり、やはり資料の写真1、2枚では実感できないことが色々あるものです。
最近存在が明らかになった洞杉の何倍も長く人の記憶にあったのはこのスギなんだなあと、人との数百年の歴史を想像するのも興味深かったですね。