巨樹たち

佐賀県武雄市「川古のクス」 

佐賀県最大巨樹は生ける観音堂

 

 

 佐賀県武雄市、巨大クスノキ3番勝負、トリを飾るのは前2本から少し離れた位置にある「川古のクス」です。

 「塚崎の大楠」幹周13.6メートル、「武雄の大楠」幹周20メートル……ときて、この樹の幹周はなんと21メートルだそうです。
 佐賀県で最大の巨樹であり、全国でも第5位の巨樹、その樹齢は3000年!

 ……もちろんこの樹齢は「推定」であって、3000年前から引き継がれている資料などはないと思われますが、何とも迫力に満ちた数字に目を奪われたのは確かです。

 同じく3000年という数字を背負う「武雄の大楠」はなるほどきわめて厳かな雰囲気に包まれていましたが……
 快晴のもと(10月なのに気温30℃ ※2017年訪問時)、大楠公園の中で元気いっぱいに生きてるこんな樹だったとは。
 初対面の印象は、ちょっと意外なほどでした。

 豊かで新しい緑色の枝葉には、若々しささえ感じました。

 とはいえ、推定樹齢の数字はどうあれ、やはり超長寿を生きてきた樹であることは間違いなさそう。撮りながら反対側に来てみると、樹勢回復の手術を受けた跡がありありと残っていました。

 えぐれたようになった部分は、もともと空洞だったようでもありますが、樹脂かウレタンのようなもので塞がれています。
 このおかげもあってか今は健康に生きられているようで、科学という人の知恵もなかなかのものだなと感心します。
 治療が済んでいるというおかげか、親しみやすい、明るい性格の樹のようにも感じました。

 

 この唖然とするほど巨大な幹……というより、ほぼ岩山です。
 根周りは30メートル以上、目通りよりもっと上でも11メートルを超える太さがあるそうで、まさに巨樹中の巨樹という大きさです。

 これだけの主幹に洞が空いていると、どうしても祠を作らずにはいられなくなるようですね。

 脇にあるお堂は奈良時代の名僧・行基ゆかりのもの。
 かつて、この樹に直接彫り付けたと伝承される観音像が安置されています。

 行基は西暦700年頃の人。
 このエピソードが事実だとするなら、その頃にはすでに有名な樹であり、かつ、主幹に等身大の観音像を刻むことができる大きさであったと言えるのでしょう。
 行基は東大寺の大仏建立の責任者であり、東大寺の四聖。
 無数のお寺を開き、各地で土木工事を指揮し、数々の功績と伝承が各地に伝えられています。
 空海や泰澄と同様に巨樹にまつわる聖人ということなのですね。

 観音像はのっぺらぼうのようですが……これは、その後の歴史、廃仏棄釈令の時に顔を剥ぎ取られたためです。 
 巨樹を削って仏の姿を作り、また別のある時その顔を削り落とすような真似をする……
 ころころと行動を変える人間を、巨樹はどう思っているものか。
 と、少し考え込みました。

 解説文。
 観音像が剥落してしまうほど、かつては幹が傷んでいたということなのでしょうか。
 ちなみに、行基の彫像伝説の他にも、解説中の「肥前国風土記」では、日本武尊(ヤマトタケル)がこの樹を見て感嘆し、この地を「栄国(さかのくに)」と名付けたのが「佐賀」の名の元だという話もあるそうで……(先人のサイトによる)。

 日本武尊!? と、もはや歴史というより神話の域。推定樹齢3000年ともなるといわくのレベルも段違いです。
 伝説の靄の中から形を得、長い歴史を経て今に至る……その間ずっと生き続けた姿なのだと想像するのは、ロマンがありますね。

「川古のクス」
 佐賀県武雄市若木町川古 
 日子神社 川古の大楠公園
 推定樹齢:3000年
 樹種:クスノキ
 樹高:25メートル
 幹周:21メートル

 市指定天然記念物
 佐賀の名木・古木
 訪問:2017.9

 探訪メモ:
 周囲環境が整い、良い気分で滞在できました。

 難なく廻れてかつスゴい、武雄市の3本の巨大クスは必見です。

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