巨樹たち

福岡県八女市「鈍土羅の樟」

古代墳墓の墓標樹

 佐賀県の三大大楠を回った翌日……。

 本州を目指して走る道筋、福岡県の南に位置する八女市の街中にも大きなクスノキがあると知り、朝6時から訪ねてきました。
 その名がなかなかインパクトのある、「鈍土羅(どんどら)の樟」

 八女市の馬場という地名だけはわかっていたので、前日の夜、車中泊の寝落ち寸前にネットの地図を限界まで拡大表示し、それらしい場所を探しました。
 すると、主要道路をたどって行ったところに「鈍土羅」の名がついた信号、そして熊野神社を発見。
 おそらくここ。あとは行ってみるしか。
 巨樹探訪によくあるパターンですが、このリサーチ・探索ターンもまた楽しいものです。
(2022年現在ではGoogleMapでもポイントされていました)

 そして出会えたのが、この大きなクスです。
 武雄の大楠、川古の楠のように20メートル級の太さはありませんが、樹高が高く、凛々しい立ち姿の樹でした。

 鈍土羅の樟。
 こちらは「楠」ではなく「樟」の字を用いるようです。

 幹周は15メートルを超え、間近で見ると圧倒的な巨大さに胸を打たれます。
 全国の大クスランキングにおいても12位を誇ります。
 実際には武雄市の3強の一角「塚崎の大楠」よりも大きいし、幹の状態も良い。

 色々撮りたい気分を抑えてとりあえず熊野神社の鳥居から入り直し、お参りしました。
 傍には「どんどら地蔵」というのもあり、この石仏自体もかなり古そうに見えます。
 数から想像すると、かつては大樟の周りをぐるっと囲んでいたのかも?
 現在は神社だかお寺だか公園だかよくわからない空間ですが(消防庫もある)、大楠の樹冠に覆われるようにこぢんまりとしており、ちょっと息抜きするのに良さそうな空間。

 40年以上前、大枝のひとつが折れてしまってバランスを崩したようですが、枝葉の茂りも青々とし、健康状態はかなり良さそうです。
 夏にこの木陰に入ったら涼しいだろうなと思って見上げました。

 「どんどら」というのは地名なのでしょうか、打楽器系というか、何かしら古代の響きを感じさせる語感です。

 それもそのはず、大正時代に行われたという発掘で、この樹の根元から熊襲(くまそ)討伐時代のものと思われる棺が見つかったとか。
 この樟は、その墓標として植えられたもののひとつだと伝承されているそうです。

 熊襲は大和朝廷に抵抗して平らげられたこの地方の土着の民で、かのヤマトタケルの伝説にも深く関与しています。
 4、5世紀くらいにその戦いがあったと伝えられており、ということは、1500年ほど前……この樹も樹齢1500年以上と考えるべきなのか……。

 古代の、それも異なる文化と信仰同士の戦いを証しながら、現在もなお巨樹は生き続けている。
 なんともロマンがありますね。
 神話と歴史が地続きであることを否定させない風格を感じます。

 ワクワクしながら撮影を続けていると、朝日が赤く差し始めました。

 朱の色は古来、辰砂の色であり、つまりは水銀が原料。
 水銀は不老不死の薬ともされ、朱は特に高貴な人のために選ばれた色でもある。
 朝日に染められた大樟が、古代よりの自らの由縁を一瞬かいま見せたかのように感じられる眺めでした。

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 神話と線引きが難しい古代の伝承と巨樹の結びつきに、これだけリアリティが感じられるのも九州ならでは。
 街中にある巨樹ですが、だからこそ、古代から続く我々の血筋、暮らしというものを感じさせてくれました。

「鈍土羅の樟」
 福岡県八女市馬場 熊野神社
 樹齢:不明
 樹種:クスノキ
 樹高:30メートル
 幹周:15.1メートル

 県指定天然記念物
 訪問:2017.9

探訪メモ:
 駐車場はありません。
 ご近所の迷惑にならないように訪問しましょう。
 近所と言っていい距離の「南馬場の大樟」も見事です。一緒にどうぞ。

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