伝承として、「延暦年間(西暦782-805年)に坂上田村麻呂が東征の折に植えた」とあり、これを根拠にして樹齢1200年と記されています。
しかしこの値も、上記「十日町博物館」サイトでは「推定樹齢:850年」と修正されている。
これでは田村麻呂のお手植え伝説が成立しなくなってしまいますが、この古代の将軍は全国各地で巨樹本体以外に証拠の残らない植林活動を行っており、「ヤマトタケルノミコトお手植え伝説 → いつの間にかサカノウエノタムラマロにすり替わってる」……などという場合すら見かけるわけで。
神話時代のレジェンダリー・ヒーローをどこまでリスペクトするかを試され……ううむ……。
このケヤキについて興味深いのは、「慶長4年(1599年)には目通りが二抱えあった」という記録があるところです。
一尋=成人男性が両手を広げた長さ=6尺 からすれば、二抱え=約3.6メートル程度。
それが以後400年で10メートルに育っている。
1000センチ - 360センチ=640センチ が400年で育った値。毎年1.6センチ育っている計算になる。
1000センチ ÷ 1.6センチ=625年 ……ということになり、醒めた計算をするなら、これが推定樹齢の最低値ではないでしょうか。
ここに、「豪雪地帯特有の気候・日照・水利」「ケヤキ巨樹の生長曲線」などを加味しつつ、「これほどの巨樹となるには850年程度の歳月が必要であろう」……
というように、樹勢回復処置に伴った専門家的視点から導き出された数値なのではないか、と推察します。
いずれにせよ、田村麻呂1200年説よりは現実的と解釈できそうですが、いかがでしょうか。