巨樹たち

新潟県十日町市「赤谷十二社の大ケヤキ」

武運を授ける巨大ケヤキ

 新潟巨樹探訪の旅路は十日町市に入りました。
 祖母が十日町出身なので、子供時代、雪まつりやスキーに連れていってもらった記憶があります。
 二階玄関三階建ての親戚の家、雪かき、深い側溝、道路から噴出する温水……
 関東の海っぺりとは何もかもが違う風土と地元の方々の明るい人柄を回想しつつ、赤谷集落へと入りました。

 いかにも雪国というしつらえの家並みを眺めつつ、指標を見つけ、少し入る。
 と、右手に、心拍数を急上昇させる大ケヤキの姿! これはすごい!
 十二神社の社殿を小さく小さく見せてしまっているこれが「赤谷十二社の大ケヤキ」

 はやる気を抑え、まずは神社に挨拶せねば……と思うのですが、あまりに太すぎる根幹が壁のように立ちふさがります。
 おそらくは「大ケヤキの元に神社を作った」パターンでありましょう。

 この巨樹を知ったのは、巨樹愛好者のバイブルとも言える名著、故・渡辺典博氏の「巨樹・巨木(山と渓谷社)」の、「続」の方から。
 渡辺氏も「怪物だ」と圧倒感を綴っておられますが、写真の印象が強く残り、見に行かねば! とかき立てられました。
 他のケヤキとは違う、高く枝を立ち上げた姿で、その樹高は46.5メートルにも達するとされている。
 「巨樹・巨木林の会」の資料など読んだ限り、樹高45メートルを超すケヤキはほとんど存在せず、数値通りなら、日本で最も高いケヤキの可能性もあるでしょう。

 ……しかし、2015年の初回訪問時、すでに上記渡辺本の写真から姿が変わっていました。
 神社に向かって右半身の大枝が大きく切り落とされてしまっています。
 2010年までに樹勢回復の処置が行われたそうで、切った方が良いと判断されたのかもしれません。
 いびつな樹形になってしまいましたが、それでも異例の樹高はおおむね保たれていると感じます。

 上越市「お諏訪さんの大ケヤキ(稲田諏訪神社の大ケヤキ)」も大変立派でしたが、こちらはさらに太く、高い。
 全体を視界に入れるのが困難で、撮ろうとしてどんどん後ずさり、あわや石垣から落ちそうになりました。

 超巨大な象の脚のような根幹が石積みをひっくり返し、社殿に接して圧迫している。
 大ケヤキを引き立たせるためにわざとちっぽけな建築をしたんじゃないか? などといぶかしみ、そうではないぞと自らを戒める。そんな稀有な経験ができます。

 幹周囲は9.5メートルとありますが、現地で見ると、それで収まるか? という迫力です。
 他の例同様、計測から長い年月が経っているのではないか……。

 この点、十日町市のサイト「十日町市博物館(TOPPAKU)」が詳しく、目通りで10.1メートルとあります。
 おそらくはこちらが新しい情報だと思いますので、当方では更新掲載しておきます。
 (樹齢についても更新アリ。考察を下記しておきます。)

 上越市「坊金の大スギ」では上杉謙信にまつわるエピソードがありましたが、このケヤキも、長い日本の戦乱の記憶を思い起こさせます。
 武運長久の加護があるとされ、このケヤキの樹皮をお守りにして戦地に赴いた人々がいた……。
 ご加護で銃弾が逸れて行ったとか、死地から生還できたというような逸話があったのでしょうか。
 近代史を振り返ってみても、これほど立派なケヤキが供出を免れて残っていること自体、地域の信奉が厚かった証拠でしょう。

「赤谷十二社の大ケヤキ」
 新潟県十日町市赤谷324
 赤谷十二神社
 推定樹齢:850年
 樹種:ケヤキ
 樹高:46.5メートル
 幹周:10.1メートル

 県指定天然記念物
 訪問:2015.5、2023.5

探訪メモ:
 Googlemap、書籍では「赤谷十二」、現地看板では「赤谷十二神社」。
 近くに他にも「十二神社」「十二社」が点在しているので、住所確認をお忘れなく。

 入口に指標、駐車場とトイレもあるので、とても訪問しやすい巨樹です。
 巨樹に健康でいてもらうためにも、できるだけ根本の土を踏まないようにしましょう。

探訪旅行記「2023年・新潟県巨樹旅2」もどうぞ。

 伝承として、「延暦年間(西暦782-805年)に坂上田村麻呂が東征の折に植えた」とあり、これを根拠にして樹齢1200年と記されています。
 しかしこの値も、上記「十日町博物館」サイトでは「推定樹齢:850年」と修正されている。
 これでは田村麻呂のお手植え伝説が成立しなくなってしまいますが、この古代の将軍は全国各地で巨樹本体以外に証拠の残らない植林活動を行っており、「ヤマトタケルノミコトお手植え伝説 → いつの間にかサカノウエノタムラマロにすり替わってる」……などという場合すら見かけるわけで。
 神話時代のレジェンダリー・ヒーローをどこまでリスペクトするかを試され……ううむ……。

 このケヤキについて興味深いのは、「慶長4年(1599年)には目通りが二抱えあった」という記録があるところです。
 一尋=成人男性が両手を広げた長さ=6尺 からすれば、二抱え=約3.6メートル程度。
 それが以後400年で10メートルに育っている。
 1000センチ - 360センチ=640センチ が400年で育った値。毎年1.6センチ育っている計算になる。
 1000センチ ÷ 1.6センチ=625年 ……ということになり、醒めた計算をするなら、これが推定樹齢の最低値ではないでしょうか。

 ここに、「豪雪地帯特有の気候・日照・水利」「ケヤキ巨樹の生長曲線」などを加味しつつ、「これほどの巨樹となるには850年程度の歳月が必要であろう」…… 
 というように、樹勢回復処置に伴った専門家的視点から導き出された数値なのではないか、と推察します。
 いずれにせよ、田村麻呂1200年説よりは現実的と解釈できそうですが、いかがでしょうか。

2015年訪問時の写真

 2023年現在、道路側の伐採された幹の白骨化がやや進行したようにも見えますが、樹勢に大きな衰えは感じませんでした。

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