※1注:
この表記はちょっと変。
延長年間は923〜931年であるのに対し、源義家の生誕は1039年だそうなので、100年以上も食い違ってしまいます。
試みに水上八幡神社のことを検索すると、
(前略)水上宮を、延長年間(1060年前)、石山の大杉の許に遷し奉れるが、寛治年中(約900年前)、源義家が氏神の石清水八幡宮を勧請合祀し、新八幡宮と称奉る。
……とありました。
元々別のところにあった「水上宮(籠大明神は御名を水分神=みくまりのかみ=水神)」を、この「石山の大スギ」の根元に遷座させたのが、929年頃のこと。
1089年頃、源義家がこの地にきて、自分の氏神の岩清水八幡宮を勧請合祀して、水上八幡神社が成立。
1227年頃、現在の位置に末社としての熊野神社が創立。
という順番ではないかと。
ともかく、この一帯の歴史ロマンのまさに根幹がこの「石山の大スギ」と言えそう。
水上八幡神社にも、重要文化財(しかも旧国宝)の本殿建築が見られるそうです。
4件のコメント
to-fu
いやー、全くノーマークの大物が次々と現れるのでつい顔がにやけてしまいます 笑
まさに登場シーンの写真を見て心の中でおお!と声を上げてしまいましたよ。
苔生した石段に見とれていたら本命がすぐその奥に。これはテンション上がります。
私もまさしく佐久の大杉や飯盛杉を連想しました。しましたが、ヒューマンスケールを見るとこれはデカい。実際目の前に立って折損する前はどれだけの樹高を誇ったんだろう…と妄想しているだけで随分時間がすぎてしまいそうです。45mどころか50mはあったんじゃないかなあ、なんて。樹齢1,000年というのも納得。サイズ感としては徳島県の五所神社の大スギをイメージしました。囲いがあるので現実的には出来ませんが、これはまた協力して幹周を測定したくなりますね。
狛
to-fuさん>
地図を見ていると、我ながら関西のお二人からは随分遠くにいるなあ……と思ってしまいます。
マークされていないのも当然だと思いつつ、僕もそちらの方の巨樹にはまだまだ疎い現状です。笑
この登場の仕方、やっぱりスギはこうでしょ! みたいな。待ってました! みたいな。
もはやこちらとしても、歌舞伎的にこういうの期待してしまいますよね。
そうして出現するのが今回は老杉なわけですが、悲壮的な感じはせず。
それは、この杉が全盛の頃、限界とも思えるところまで成長を果たした杉だからかもしれません。
今でも巨樹ファンの記憶に十分残ってくれる大きさを見せつけてくれます。
僕も、後で写真で客観視して、記憶以上に大きいじゃないか! と二度びっくりしました。
10メートルオーバー、測りごたえがありますからね。数人で測ってやっとのあの感じ、またやってみたいものです。
RYO-JI
拝殿へと向かう苔生した階段を見ただけで感嘆の声を上げてしまいますね。
この雰囲気を味わうだけに訪れたいとも思えます。
そしてその奥にただならぬ気配、いや、これは一番盛り上がるパターンのヤツですね(笑)。
拝殿の奥に控える姿が堂々としていて、参拝にも一段と気合い(なんだそりゃ)が入りそうです。
とは言え、そこまではまだ余裕を持って拝見していましたが、ヒューマンスケールを見て画面を凝視してしまいました。
『デカイ!!』
まさかここまでのサイズとは思って見ていなかったので、更に驚愕です。
上部が欠損してしまっているとのことですが、それでも充分スゴイ存在感じゃないですか。
老杉というジャンルに相応しい巨樹ですね!
狛
RYO-JIさん>
外の通りなどはそこまで雰囲気がある感じではないので、神社に至ると驚きます。
大杉の現れ方も……大杉があるところに神社を建てたというのは歴史から明らかですが、うまく正面に持ってきたものです。
巨樹ファンなら一気にテンション上がる仕掛けであると同時に、神社の神々しい雰囲気、「ここは違う世界だぞ」という印象も強まっています。
老いたる大杉ですが、この大きさは大したものです。なかなかないですよね。
最後のモノクロにちょっと写ってるんですが、玉垣が根を避けるように凹んで作られていたりして、大杉こそ原点と大切に思う心が伝わってきました。