巨樹たち

千葉県成田市「東光寺薬師堂のスダジイ」

陰樹、かくも暗し

 千葉県成田市界隈に出張。ついでに訪ねられる巨樹はないか? とGooglemapで寺社ノックをしていて発見した巨樹です。
 該当集落に折れる道を一度は見逃し(写真のミラーのところです)、戻ってはきましたが、先がどうなっているかよく伺えない。
 集落に迷惑をかけてもいけないので、とりあえず広い場所に車を停めておいて徒歩での訪問を選びました。
 前回紹介した「幡谷香取神社のスダジイ」は、その過程で思いがけず出会った巨樹だったりします。

 何軒かの民家の向こうに墓所が見え、行ってみると「市川團十郎先祖居住の地」などとある。
 こんなところに? と言ったら失礼ですが、現在の雰囲気と歌舞伎スターのイメージとが、どうしてもくっつかない。

 そしてどうやら、「團十郎先祖居住地=わが目的地」だったようです。
 まあ、どちらが目的だったにせよ、進むのを躊躇するくらいに鬱蒼としている……。
 明るく写ってしまいましたが、頭上を跨いで太い蜘蛛の糸が張られていたりする。

 薬師堂に行き当たれば、この眺めです。
 右手のモミもなかなかの太さですが、それより、どうでしょうか。
 もちろん左の。もちろんスダジイですが。
 陰樹とは、こうも暗いものなのか……と、思わず息を呑んで歩を停めてしまう圧がありました。
 写真で再確認してなお、あまりの暗さに空間がひずんでいるように見える……。

 境内空間はこれまたなかなかの雰囲気です。
 いかにも古い薬師堂、マットのような苔に覆われた石畳……民俗学的、諸星大二郎的な薄闇に覆われている。真昼間なのに。
 石仏も、なんだか頭が多かったり、手つきや付属物が見慣れない感じだったり……。
 背筋がソワソワしてくるような冷気(霊気?)を感じ、うむ、長居はやめとこうと。

 やはり何より、この巨大な陰樹が周囲の空間から陽気を吸い取り続けているように思えてならないのです。
 かなり大きい。株立ちだと決めつけてしまって良いはずですが、幹周はいったい何メートルになるのか。
 同県が誇る「安久山の大ジイ」の記憶を手繰り寄せてみても同程度くらいありそうで、とすれば、9メートル以上は十分あるのでは?
 現地で答を出せませんでしたが……長尺を持ってたところで、ここで独りで測る気にはなれない……、後日、環境省巨樹DBで探ってみると、予想に反してちゃんと特定できました。
 幹周、実測12.89メートルという驚異の数字を確認!

 こいつは凄い。しかし、やはり同欄に「株立ち本数:3本」「株立ち樹木の主幹の幹周:545cm」ともある。
 大きく分けて3本の木が合体したような状態であって、そのうち最も太い幹が幹周5.45メートル。そういう扱いか。
 まあ、スダジイ巨樹を評価するにあたって必ず付きまとう議論でしょうし、株立ちだからといって評価が落ちるという話ではないですね。

 隣にもう一本、同DBで幹周6.22メートルとされるスダジイが立っています。大きく発達した板根が目を惹きますね。
 どちらの巨樹も、折損がありつつ樹勢旺盛。それぞれの樹冠が合体し、境内全体を伽藍の中にいるかのような暗さにしている。

 前述「幡谷香取神社のスダジイ」とは近所と呼べる距離にあり、規模や樹齢も同程度。互いに縁があると想像しました。
 どちらかからどんぐりを分けてもらって育み、例えば飢饉の際の備蓄食料としたか。広大なスダジイの林を切り開いて寺社や村を築いたのかもしれませんが。
 そのヒントを与えてくれそうなものといえば……それこそ、市川團十郎くらいしかない。

 で、「広報なりた」PDFに、この幡谷薬師堂に関する一文を見つけました。
 初代市川團十郎の曽祖父にあたる武士・堀越十郎は、天正年間(1573~1592)末の小田原城落城において、ここ下総の幡谷村に逃れて移住。
 初代團十郎が生まれたのは万治3年(1660)。のち、祈願のすえ男児(二代目)を授かったことで成田山新勝寺の熱心な信者となり、屋号も「成田屋」としたそう。
 この薬師堂も、1600年頃にはすでに存在していたのでは。確証なくとも、風格は十分ある。

 その後、明治初期には廃仏毀釈ムーブメント。水戸および筑波では寺や宝塔が破壊されていたそうですが、ここでは古いものが古いまま残されている。
 背景に成田山新勝寺および「成田屋」の威光が全くなかったのか。影が生じるには当然光が要るのだ。つまりいま、この陰樹の影は、文化の光によって生じているのだと言えなくもない。のだ。

 などとこじつけたところで孤独感が限界に達し、どたばた退却してきました。
 写真の大半をISO6400以上で撮ってしまっていたことに、最後まで気づきませんでした。

「東光寺薬師堂のスダジイ」
 千葉県成田市幡谷
 薬師堂
 推定樹齢:不明
 樹種:スダジイ
 樹高:25メートル
 幹周:12.89メートル
 (主幹:5.45メートル)
 隣に6.22メートルのスダジイも。

 訪問:2023.11

探訪メモ:
 参道入り口は若干広くなっていました。お墓参りの方の邪魔にならなければ……と思います。
 一般的には巨樹や薬師堂よりも「市川團十郎の先祖居住地」で有名でしょう。碑も近くにあります。
 力強い「幡谷香取神社のスダジイ」もご一緒に探訪を。

4件のコメント

  • RYO-JI

    むむむ、これは陰の圧がキョーレツ、インパクトが凄いですね。
    一人で立ち向かうにはかなりの勇気が要りそうで。
    株立ちだろうがこのサイズ感は間違いなく圧倒されるヤツに違いなく、余計に恐怖心が増してきそうで正直怖いです。
    はっきり言って、この記事を拝見した後に1人で行こうとは思わないです(笑)。
    心の中にとても見たいと切望する自分と、絶対に嫌だと泣き叫ぶ自分がいる感じ。
    周囲の状況も雰囲気もこのスタジイに相応しい空気感がありそう。
    狛さんが感じた『陽気を吸い取り続けている』という表現がスッと入ってくるし、PCを前に怖気に襲われました。
    しかしこういうスタジイが後々も記憶に鮮明に残る巨樹になるでしょうね。

    • RYO-JIさん
      むむむ……でした。暗さを貯め込んでる感じでですね。
      見ての通り周囲はそこそこ開けているんですが、一樹でまるで密林みたいな暗さを感じるところ、スダジイの凄みを再確認させてくれました。
      数百年もここに育っているからには認められる意味が何かしらあったのだと思いますが、現代に入ってからも、これ鬱蒼としてなんかやべえな切ってしまえ、とならなかったのは良かったです。
      マニアとして幹周囲データを意識し始めたら相当な巨樹だと映るのは確かですからね。
      次行くことがあれば……自分も独りでは行きたくないです。苦笑

  • to-fu

    スダジイ極まってますなあ…
    恐らく既にこの辺りの巨樹をほとんど網羅しているであろう狛さんが未訪問だったものの中にも、
    まだまだこのレベルの巨樹が潜んでいる事実が恐ろしいです。このシイが京都府下にあったらたぶん
    真っ先に訪問して記事に書いてますよ。しかしこれまた天神の森を彷彿とする…(そればっかりだな)
    間違っても雨の日の夕暮れどきなんかには一人で歩きたくない道ですねえ。

    たしかにこのサイズ感は安久山の大シイに通ずるものがあります。
    株立ち巨樹はレギュレーション上不利になるというだけで、株立ちだからと見た目のインパクトが弱まるわけでもないし
    巨樹そのものの価値を毀損するわけではありませんからね。シンプルに「うお、でっけえ!!」と叫んで楽しんでしまえば
    それだけで大勝利だと思っています。

    • to-fuさん
      この竹林との食い合いが「天神の森」と似通ってますね。スダジイだからこそ、ここで生き続けられたとも言えそうです。
      知らないだけで、フィールドワークすればまだまだ見つかるんじゃないか……という気配はかなりありますね。
      どんな土地にも古代や中世の歴史があるんだよなと、当たり前のことも思いました。
      神がかったスギやクスとは色合いがかなり違うし、現代における経済的な魅力はないかもしれないですが、それ以外の含みならたっぷりある。
      スダジイの巨樹の性質はまさにそういうもんなんでしょうね。

      株立ちでもいろいろありますが、このシイはそこそこ纏まり良い方じゃないかな? とも思うんですよね。
      もっとたくさんバラけていて、それぞれが細いケースだってあるでしょうし……そこ行くと、かなり巨大で圧迫感を感じることができるシイでした。
      独りでぶらっと行くかどうかは別ですが、地域を代表する巨樹として記憶しておきたいです。

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