巨樹たち

岩手県大船渡市「三陸大王杉」

幾度もの津波と復興を見てきた

 この巨樹を強く意識したのは、東日本大震災の折。
 岩手を代表する巨杉でありつつ、これほど津波被害の間近に位置していたのかと、地図を見てとても心配になりました。
 2011年当時はまだ東京暮らし。直後の報道で大杉が流されずに生き残ったことを知った時は、ほっとしたものです。

 東北へ生活を移し、時の経過とともに心理的な段差も消え、自分としては今ようやく大船渡に立ち寄る機会を得たのだ……。
 と、現地に到着した時には、そんな思いがよぎりました。

 所在の八幡神社は、道路からすぐの高台にあります。
 向かって左手にあるのが有名な「津波の碑」
 ここ大船渡は、2011年以前にも「昭和三陸津波(昭和8年)」など複数回の津波に見舞われた土地ゆえ、刻まれた警句は大変リアルです。
 一方、右手には何やら縄文をイメージしたと思しきオブジェが。

 切り立った丘陵地で、石段ものけ反りそうになるほど急。
 拝殿が見えると、すぐ背後に岩山のような巨大な気配が感じられます。
 言うまでもなくこれが「三陸大王杉」、地名をとって「越喜来(おきらい)の老杉」とも呼ばれる巨杉です。

 幹周囲は11.6メートル、岩手県で最も巨大なスギです。
 拝殿との距離が近すぎて陰になってしまうため、正面からでは全体像を視野に収められません。
 これは同岩手県の巨杉「白山杉」とよく似た状況。元々あったスギの手前に拝殿を建てたはいいが、年月が経つにつれてスギが巨大化、斜面のため移築するスペースもなく、圧迫されるがまま……という格好でしょう。
 (ちなみに「白山杉」は幹周11.5メートル、僅差で岩手県第二位の巨杉とされています。)

 かといって、社を回り込んで裏手(丘の頂上)に登ると、今度は大杉の見た目が良くない。
 巨大さに驚くのと一秒も遅れず、その補修部分の占める大きさに唖然としてしまいます。
 ほとんど樹脂だかコンクリートだかの塊……幼少時にこういう滑り台で遊んだなあ、などとつい連想。

 相当な高齢であることは間違いなく、樹齢1000年と言われたところで不自然さは感じない。
 しかし、それでも通説の「樹齢7000年」はさすがに大げさすぎです。

 おそらく屋久島の「縄文杉」に端を発する巨樹ブーム(縄文杉にもかつては7000歳説があった)、吉野ケ里遺跡(邪馬台国関連)などの古代史ブームの影響が大きかったに違いない。
 入り口にあった縄文オブジェ、「大王」という尊称にしても、明らかに古代の「クニ」的なものをイメージしているように見えます。
 1990年代、樹勢回復処置が施された(地元で2000万円!も集めた)際、観光資源としても当然想定された、その名残でしょう。

 しかしまあ、科学的根拠無しにでっかい数字をぶち上げても、デタラメのモヤに包むだけになってしまう……。
 時代の流れは加速し続ける一方なので、情報メンテはぜひ着実に行われるべきだと思うのですね。

 第一、そんな経緯で「三陸大王杉」を観光しに来た人ほど、ガッカリしてしまいそうです。
 魅力的に撮ることが難しく、例の謎のパワーを吸収?することもちょっと難しそう。
 樹齢7000年だってよー、で来てみて、わずか数分で立ち去る人々の姿が目に浮かんでしまいました。

 それでは勿体ない。見るべきものを見ていない。
 つい長く書いてしまいますが……あえてそうも指摘してみたい。

 このボロボロに朽ちた主幹の背後には、巨樹基準を超えるスギたちが3、4本、少し視野半径を広げればその倍ほども見つかります。
 私としては、これらが「大王杉」が更新した新たな幹たちだとしか思えませんでした。
 いや、別個のスギにせよ、土中で根を通じ合うその中核に、まさに「大王」たる巨樹が君臨していることは間違いないでしょう。

 つまり、もはや一本の樹木などではなくて……この山全体が「三陸大王杉」なのです。
 その時、自分が大杉の掌中にちょこんと乗っかっていただけという想像ができれば、そのコワいほどの巨大さこそが、「大王杉を見た」という本当の実感なのではないでしょうか。

 山から下り、道路上から大王杉を振り仰ぐ。
 東日本大震災当時、この山から下のほとんどすべてが津波と瓦礫に飲み込まれたそうで、

 「杉から線を引いたように後ろには津波の被害がねかった。まるで町を守っているみたいだべ」

 という報道記事の一節が、今も強く印象に残っています。

 その通り、実はここからの眺めこそが、最も大王杉を偉大に見せるのだということも、わざわざ書いておきたい。
 地元に愛され、ルーツでもある巨樹の「大きさ」を客観視できるばかりでなく、幹を維持し、葉を茂らせる不滅の存在感をも見て取ることができます。

「三陸大王杉」
 岩手県大船渡市三陸町越喜来杉下
 八幡神社
 推定樹齢:7000年(?)
 樹種:スギ
 樹高:20メートル
 幹周:11.6メートル

 樹種(スギ)幹周県第1位
 町指定天然記念物
 訪問:2023.10

探訪メモ:
 手前に数台停められる程度のスペースがあります。
 下記する「ポプラ広場」も広く、トイレやベンチもあるので便利です。

 震災に関連して、似た立地・境遇の巨杉に、宮城県南三陸町「太郎坊の杉」があります。

この旅の模様は、「2023年・青森県東部巨樹探訪1」でどうぞ

「ど根性ポプラ」

 「三陸大王杉」が見下ろす低地に、ぽつんと一本だけ立つポプラの大木。
 想像できる通り、震災の記憶を今に伝えるシンボルツリーで、津波に呑まれても倒れずに残っていた樹なのだそうです。

 箒のように無数の萌芽枝を出していて幹周がわかりづらいですが、巨樹基準は満たしていそうです。
 吹きさらしの強風の中でギギギ……としなりながらも、良好な樹勢を感じさせました。

 ポプラは別名「セイヨウハコヤナギ」、ヤナギ科。
 成長が早いので防風用などに植えられることが多い。
 この樹も、昭和8年の三陸大津波の被害の後で植えられたものだそうで、90年ほどでここまで成長したことになります。

 津波に呑まれた巨樹は複数報告されていますが、半数以上は重度の塩害で枯れてしまったようです(宮城県「笠松」は今も立っています)。
 ヤナギ科は水害の後などに最初に生育し始めるグループでもあり、比較的強いのだろうと想像しましたが、とにかくこの周囲の被害は甚大で、比べられる例を他に知りません……。
 背の高いこのポプラの全景を収めるために路肩から下りた時には、土地の記憶に対し、思わず手を合わせずにはいられませんでした。

 すぐ向こうに万里の長城のように巨大な防潮堤が見える。
 反対側、高台になった道路の向こうからは、「三陸大王杉」が見守っている。

 ポプラはラテン語で「人々、共同体」、つまり「ポピュラー」等と語源が同じ。
 成長が早い分だけ短命な樹種だともありましたが、この地に再び活気が戻ってくるまで長生きしてもらいたいものです。
 あんなこと、もう当分起きないはずだから……。 

「ど根性ポプラ」
 岩手県大船渡市三陸町越喜来杉下
 ど根性ポプラ広場
 推定樹齢:90年程度
 樹種:ポプラ
 樹高:25メートル程度
 幹周:3メートル程度

 訪問:2023.10

探訪メモ:
 広々とした公園区画になっています。
 
 見逃しようもないですが、「三陸大王杉」とセットでお訪ねください。
 自分はこの広場に停めて、歩いて見に行ってきました。

この旅の模様は、「2023年・青森県東部巨樹探訪1」でどうぞ

4件のコメント

  • RYO-JI

    正直に言うと、痛々しいスギの巨樹で補修の跡からもネガティブな印象を持ちそうだなぁと思っていました。
    そう、途中までは・・・。
    山の下から見上げた姿が目を覚ましてくれました。
    山自体がこのスギのようで、『ははーーー』と平伏してしまいそうになるほど偉大な姿にビックリです。
    大王杉と名称も仰々しいなぁと感じていたことも謝罪したいくらいです。
    津波による被害はその場に行かないと実感として湧かないのかもしれませんが、それでもこの大王杉が町を守ったという話には不思議と納得。
    それくらいやってもおかしくないと思えてしまいますね、この姿を見ると。

    〝ど根性〟というネーミングセンスは良いのか悪いのか判断が難しいですが、安易に〝奇跡の〟としないだけでも好感が持てるし愛着がわきそう。

    • RYO-JIさん>
      大王杉については、巨樹本の写真がややワンパターンな気がしていて、違った構図で魅力的に撮ってやろうとは思っていました。
      しかし、主幹レベルでは敗北。柵に制限されるし、難しい巨樹だ……と降りてきたんですが、振り向いて、この「外側」からの眺めに自分もドキッとしました。笑
      巨樹が好きな人だったら、このタダモノではないスケール感だけでもきっとワクワクできるんじゃないでしょうか。
      ぜひ中望遠以上のレンズも従えて見に行くことをお勧めしたくなりました。

      大王杉の無事にはあの頃の早い段階で安堵していましたが、ポプラの元気さには今回現地で見て驚きました。
      単に災害を生き延びただけではなくて、独りだけになってしまっても元気に生きている姿が印象的です。
      大王杉ももちろんそうですが、メッセージ性の強い巨樹に恵まれた土地なんだなと感じました。

  • to-fu

    このスギは全くノーチェックでした。
    冒頭の写真でえ?これ右側どうなってるの?とビックリしたのですが、なるほどコンクリでしたか…
    いやでもこれ、ほとんど半身を失った状態でここまで見事な樹冠を支えてるって凄まじいですね。
    水分とか栄養とか行き渡るんでしょうか。いや、もちろん行き渡っているからこそこの姿を維持しているわけですが。
    杉の巨樹としてサイズだけ見てもそれなりに立派ですが、大きさ云々よりも生き様を読み取ってみたい巨杉ですね。

    それだけに、樹齢7000年伝説が惜しいですね。
    いや、気持ちは分かるんですけど。うちの杉は縄文杉みたいに立派だ!→縄文杉が7000年ならうちも7000年だろう!と。
    地域の方に大切にされている証でもありますが、わざわざ余所から見に来た人間にはやっぱり浅薄に聞こえてしまうわけで…
    まあこの手の伝承は2,000年ならいいのか?1,000年なら?と言い出したらキリがないのでアレですが。
    伝承は伝承で古きよき昔ばなしとして残しつつ、それとは別に正確な情報も記載があると助かりますね。

    • to-fuさん>
      巨樹本の写真構図がワンパターンなのも、後ろ側を撮らないようにしてるからですね。
      どの本でも掲載がほとんどその一枚だけなので、この遠景には、「これこそ見ないと!」と感じました。
      おそらくはもうほぼガワだけになってるんでしょうけど、スギの生命力もクスやイチョウに負けじと驚異的です。

      樹齢は現在1500年説もあり、4.5倍以上も誤差が出てしまうんじゃ結局何の根拠もなかった数字ってことです。
      巨樹に関しては「専門家が鑑定したからこの樹齢は正しい、2000年!バーン!」みたいなケースもよくありますが、その専門家って誰? いつの、何の専門家なの? ごと考察し直すべきですね。
      ましてや昭和の古代史ブームはかなりぶっ飛んだムードでしたし、オカルトや偽書いっぱい、「昔の専門家」こそが最大の地雷でしょう……。

      20年も30年もほとんど更新されない現地の解説が次第にネガティブを生みつつあるとも思います。
      「情弱」という嫌な言葉もありますが、それがそのままあることで、現地のさまざまなモノの信頼性が損なわれてしまうのではないかと。
      1000年、700年とかでも、人間社会の歴史と比べたら信じがたいほど遠大なスケール。
      巨樹に対して「盛る」必要なんてないんですけどね。

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