巨樹たち

新潟県南魚沼市「薬照寺の大カツラ」

主幹捧げるも樹勢旺盛、新潟最大のカツラ

 津南町から徐々に北上、田植えスタンバイ中の水鏡を眺めつつ南魚沼市。
 ここへもろくにリサーチをせずに来てしまいましたが、お寺にたいそう大きなカツラがあるらしい。
 カツラと言えばあの甘い良い香り、きっと良い感じの線香を土産にできるぞと、なぜか勝手に思い浮かべていましたが、残念ながら近所の工事の職人さんが弁当を食べている以外は誰もおられませんでした。

 お目当ての大カツラは探すまでもない存在感。
 車で訪ねると側面からのアプローチになりますが、真横から見た時の「一樹すなわち森」感が圧倒的です。

 写真、幹の横に立つ私の姿を探してみてほしいのですが……
 樹勢はこの上ないくらい良く、緑のボリュームは濃密。
 お寺だけにイチョウの巨樹をも連想しますが、イチョウだとしても、これほど巨大なものにはそうそう出会えないでしょう。

 「二千年 日本一の大桂」は、さらっと受け流しましょう。お寺の巨樹にはよくあることですし。
 とは言いつつも、巨樹・巨木林の会の資料によれば、新潟県最大のカツラであり、全樹種に視野を広げても新潟県第二位の巨樹です。
 ひこばえモンスターが群雄割拠するカツラ巨樹の中でも、全国ベスト10には食い込むと思われます。
 連続して巨樹を見てきた目にも、しっかりと実感を伴って映えたのは間違いありません。

 段下の職人さんたちの昼休みが終わったようなので、危なっかしくも石段に三脚を設置し、正面から仰ぎ見ます。
 大カツラは中ほど、右側にそびえていますが、幹の幅の方が石段のそれよりも広く見えます。

 側面から見た時よりもややバラけた印象で、樹脂(コンクリート?)で補修された痕も見受けられます。
 中心部の主幹がすでに失われ、予備として発生したひこばえが巨大化、言うなれば筒状に林立している。
 しかし、根幹部の一体感はしっかりしていて、上記のように、特に側面から見た姿は間違いなく一本の巨大な樹。
 カツラ巨樹にありがちな「これ、もはや一本の木じゃない……」という感想は出て来ませんでした。

 それにしても変わったお寺だなあ、という印象の薬照寺 。
 建物の前面全て、というか背後にも湧き水があるのか、渡り廊下状の下をくぐって水が流れ出て繋がっている。
 いかにも越後の風土を感じさせ、大カツラも豊富な水に育まれたのだろうと想像できます。

 場内に解説の類は見つけられませんでしたが、後で調べてみるとエピソードに事欠かないお寺でした。
 何はともあれ、大カツラがらみの話ですが……

 薬照寺は安永9(1780)年、火災で焼失している。
 蝋燭の火を咥えた鳥(烏?)が、本堂の茅葺屋根に着火したのが原因だそうです。
 再建の際、本堂の縁側の材料とされたのが、他でもないこの大カツラの主幹だったとのこと。
 カツラは仏像などにも珍重される良材ですが、ということは、その当時すでにそれが可能なほどの巨樹だったと言えるのでしょう。
 主幹伐採までの樹齢を200年程度とし、現在まで200年あまりを経たとして樹齢400年説が成立したと推測しますが、現実的な線だと感じます。
 一方の樹齢2000年説の根拠は……わかりませんが。笑
 また、やはり古来、カツラの葉でお香を作って焚いてもいたそうです。
 他にも……長くなるので、後記としますね。

 これだけの樹冠、樹勢。
 金色に色づく秋は、イチョウの巨樹たちをも押しのける見事さでしょう。
 いや、悪臭爆弾(笑)を投下するイチョウより、メープルシロップみたいなあま~い芳香に包まれるカツラの方が……
 でもやっぱりギンナンを茶碗蒸しに入れたい気持ちは捨てがたいのかな。日本人だから。

 見応えも含蓄もたっぷり。
 新潟巨樹巡りにおいて、まずリストアップしておくべき一樹です。

「薬照寺の大カツラ」
 新潟県南魚沼市君沢851
 薬照寺
 推定樹齢:400年
 樹種:カツラ
 樹高:30メートル
 幹周:13.5メートル

 県指定天然記念物
 樹種(カツラ)県内第1位
 訪問:2023.5

探訪メモ:
 向かって右側、坂を回り込んで登っていくと広い駐車場があります。
 上越線「大沢」駅から2kmほどの距離(お寺から線路がよく見える)。
 季節さえ極端でなければ徒歩でも訪ねられそうです。

探訪旅行記「2023年・新潟県巨樹旅2」もどうぞ。

 薬照寺は、二次大戦後、ビルマの独立運動家、国家元首であるバー・モウが亡命して身を隠した場所としても有名だそうです。
 試みにWikipediaを探ってみると、

 1945年8月にビルマのバー・モウが日本に亡命し、第77世住職土田覚常により当寺に匿われた。

 陸軍中野学校出身の将校たちの協力により身を潜める。当地では英語を教授する一方、日本語を学習した。

 そして、12月に自ら連合国の占領軍(イギリス軍)フィッゲス中佐のもとに出頭した。翌年特赦されビルマに帰国した。

 ……などとありました。
 ビルマ(現ミャンマー)は古くから歴史に翻弄されてきた土地。
 イギリス領インド帝国の一部だったところを、二次大戦中に日本軍が占領してビルマ国として独立させ、さらに英米軍が進軍して日本軍は敗北、ビルマ国も崩壊……。
 めまぐるしい歴史の一支流が、遠いこの地にまで到達したということですね。
 現在も戦火絶えないミャンマー、一刻も早く平和が訪れることを願います。

 住職に国際的視野があったのか、以前には世界中の珍品を陳列した宝物殿があり、首狩り族が狩ったクビとか、藤田嗣治とかミレーの作品、大陸の法具や工芸品等々を拝観できたらしいです。
 今でも、現ご住職にアポがとれれば見せてもらえる……のかも(ちょっと見たかった)。

4件のコメント

  • to-fu

    立派なカツラですね。サイズもさることながら樹形が実に美しい。
    もし巨樹図鑑なんてものがあったら、カツラの項目には迷わずこの全景の写真を使いたいくらいです。

    しかしお寺の境内にカツラの巨樹は初めてのパターンです。
    本堂焼失から再建の流れもカツラと一蓮托生になっている感があって面白い。
    人間の都合でぶった切られたカツラからするとたまったものではありませんが 笑

    秋の黄葉にも期待が高まりますが湯沢に近いだけあって積雪量も相当なモノになると思われ、落葉した後に
    ドカッと雪を被った姿もなかなかフォトジェニックなものになりそうですね。
    行ってみたいけど冬の新潟は運転する自信ないな…

    • to-fuさん>
      カツラによく見られるアンバランスな樹形ではなく、ずいぶんちゃんと「木」という感じの形をしていますよね。
      手入れをするって言ってもこの立地でこの高さですから、ひこばえのコントロールくらいしかできないと思うのです。
      ある意味では、カツラ自身がイチョウみたいな仏心を持っているのかも……? などと。笑
      東北ではカツラが仏像に使われるケースがあり(この間、仙台の歴博で見てきました)、ひょっとすると最初から用材として見込んで植えたものかもしれません。
      でも、仰る通りで、こうしてカツラ巨樹を供えたお寺を他に訪問した憶えがないのは不思議で、興味深くもありますね。

      ここは凄い豪雪地帯だと思いますよ~。
      カツラの黄葉をぞんぶん楽しんだら、覚悟を決めてスキーまでやって、笹団子買って帰りたいものですね!(電車で)

  • RYO-JI

    私もお寺にカツラがドーンとあるのを見たのは初めてかもしれません。
    しかもこんな視界良好な場所に。
    パッと見、イチョウでしょ?と思ってしまい、我が目を疑い改めてカツラだぁとなりました。
    主幹を失ってしまっているとのことですが、樹木としての塊感?はまだまだ充分感じられますね。
    カツラの巨樹だと中身スカスカ(いやそれでもスゴイですけど)ながら樹勢もあって・・・なんてのもよくありますが、
    そういうのとは違った姿なので余計にイチョウにも見えてしまったのかもしれません。

    いやー、でも、何度見ても石段の横にカツラの巨樹が佇んでいる光景が信じられません。
    普通そこはスギのポジションでしょ?と言いたくなります(笑)。

    面白い土地ですね、新潟。

    • RYO-JIさん>
      カツラの巨樹は個体差が大きくて面白いですよね。
      タイプこそいくつかにわけられると思いますが、それぞれがはっきり区別できる。
      ウラスギ・オモテスギと大別できるスギともまた違い、神木、巨樹級となるとコントロールの難しさにもつながるかもしれません。

      この大カツラ、佇まいの気合の入り方からしても一般的な大イチョウと互角かそれ以上のものがあると感じました。
      この季節のカツラは清々しいし、好感度も高い。やればできる樹種、カツラ。
      って感じで、もっとお寺にあって良いと思うんですが、やはり謂れの点でイチョウに分があるのでしょうかね。
      樹種に対する古来からの意識にも注目してみたい、そのきっかけになってくれそうな存在感でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA