巨樹たち

福島県会津若松市「高瀬の大木」

自重崩壊は巨大ケヤキの宿命か

 巨樹を追い、喜多方市(「温泉神社の大杉」)から会津若松市へと流れてきました。
 16時半過ぎて日が傾き、雨まで降ってきてしまいましたが、会津に身を置きながら素通りするわけにいかない……だってその名もずばり「高瀬の大木」

 この朴訥なネーミングがすべて。
 「高瀬にある、とにかくでかい樹」の意(それはそうだ)。

 慶長5年(1600年)、上杉景勝が着工させたという「神指城(こうざしじょう)」城跡がその所在地。
 ここは会津盆地の中心部にあたるそうで、立地を生かした巨大な城となり、全域で50万平米もあったとか。
 しかし、世の流れのせいか、ついに未完成で終わったのだそうです。
 「大木」は、その東北の土塁上にあり、近づけば一目瞭然です。

 もちろん、その巨大さゆえ。
 ぶっきらぼうすぎる名称には樹種すら含まれていませんが、一目見れば、とんでもなく巨大なケヤキであることがわかります。

 幹周囲のサイズ感もさることながら、樹種がケヤキであることで、発せられるその物体感・質量感がハンパではありません。
 岩塊か、要塞か……とてもこれがひとつの生命体だとは思えないような巨大な存在感を感じます。
 灰色の樹皮に覆われた幹はとてつもなく硬そうで、この根本部の安定感といったら、北のミサイルくらいなら平気でくい止めてくれそう。

 しかし、じわじわとこの大巨樹を苦しめるものが。
 木道を回り込んでいくと、その現状が明らかになります。

 その脅威の正体は、自重。
 街路並木のケヤキの主幹くらいはある(いや、もっと太い)大枝が三股に分岐していますが、そのうち一本が横に倒れすぎ、幹が裂けつつあるのが見て取れます。
 バキッ! といってしまえば幹が半分無くなってしまいそうだ。

 書籍で90年代の写真を見ると、もっとまっすぐ立っていたようですが……これはかなりまずい。
 直接の原因は台風でしょうか。
 この大きな根幹で全体のバランス崩壊と倒壊には耐えるにせよ、裂け目から確実に傷んでくる。
 菌類から守るための防腐処置で黒く染められているのが見てとれます。
 こうした手当を見ると、古くから親しまれている人里の樹は幸いと言うしかありません。

 木道にはしっかりとした手すりが完備され、根本近くには踏み込めません。
 邪魔すぎて写真が撮れなーい!(実際、かなり制約されてしまう)とかつまらんことより、現状を見れば保護が最優先ですね。
 この樹で言う「小枝」の一本でも頭の上に落ちてきたら恐ろしいし……。

 

 幹の破損に比して葉の茂りは濃く、見上げれば、これは岩山じゃなくて樹木なんだ! と改めて感動します。
 この頼もしさ、堅牢さ。
 真面目で、曲がった事が大嫌い。この地を頑として守り続け、一切動じない。
 会津の精神、戦国の城にもまさにふさわしい巨樹だと感じます。

 築城開始時にはすでに「大木」だったと言われ、この樹を目印に城が計画されたに違いありません。
 ということは、推定樹齢として少なくとも500年はカウントできるはず。

 2000年代と思われる環境省計測での幹周囲は11.8メートルで、全国の巨大ケヤキの中でも6位か7位に入る。
 言うまでもなく健全なものに絞ればもっとランクは上がり、南会津「八幡の大ケヤキ」や長野県「大六のけやき」らライバルとの共演(?)がアツい。
 誰もが納得できる国指定天然記念物巨樹ではないでしょうか。

 「高瀬の大木(大ケヤキ)」
 福島県会津若松市神指町大字高瀬
 五百地 神指城跡
 推定樹齢:500年以上
 樹種:ケヤキ
 樹高:24.64メートル
 幹周:11.8メートル

 国指定天然記念物
 訪問:2018.9

探訪メモ:
 国道118号(若松西バイパス)には中央分離帯があるため、車線によっては回り込むことに。地図上の予習をお勧めします。
 国道から降りると農道、道幅が狭くなるので、対向車や歩行者に注意です。

 福島県緑の文化財を記す「ふくしま森まっぷ」での幹周は12.5メートルとされていました。

 もうじき日が暮れる……。
 巨大な幹越しに金色の田んぼが美しかったです。
 撮影当時、城跡を中心とした広い範囲が再開発工事中でした。
 現在は「大木」を囲む景観が変わっているのかも。

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