巨樹たち

長野県下伊那郡「小黒川のミズナラ」

半身で生きる、日本最大のミズナラ

 あの樹は今頃どうしているだろうか……?
 その都度見に行くことは叶わないながらも、年ごと、季節ごとに気になる巨樹があります。

 その中の一本、「小黒川(こぐろがわ)のミズナラ」に出会ったのは、2017年秋。
 九州から関東まで自走しつつ戻る巨樹探訪旅の終盤でした。

 岐阜県の南端部から県境を越え、長野県に入りました。

 その間ずっと分け隔てない山中を走っているような印象。どんどん標高が高くなり、空気がしんと冷えてきた16時、ついにその樹の元に辿りつきました。
 ……探すまでもない。
 道の案外すぐそばに、明らかに他の木々とは異なる雰囲気を放って立っていました。

 ミズナラでは日本最大といわれる巨樹です。
 めいっぱい腕を長く天に差しのばしたかのような、長大かつ広大な樹……。

 樹というものを絵で描いた時、誰しもが漠然と描くような、要するに「イメージ通りの樹」。
 これは確かにすごい。美しい。こんな立ち姿の樹は他にない。

 ミズナラは関東平野ではほとんど見られませんが、そのはず、同じブナ属のコナラよりも高山性の樹種だそうです。
 標高1600メートルほどまで生育でき、豊かな枝張りを持ち、秋にはたくさんのどんぐりを付ける樹です。

 幹周囲は、解説板には9.4メートルとありますが、実測を踏まえたものらしい数値は7.5メートル前後だという。確かに、そちらの数値の方が正しいと見ました。
 国天指定を受けているミズナラはこの樹だけだそうです。

 ぜひ一度間近に見てみたいと思っていた樹です。
 その肩書きからだけでなく、巨樹関係の書籍の中でも綺麗な樹形がひときわ目を引き、これは実物を見たい! と強く思わせるものがあったのです。

 そして、ついに念願が叶ったというわけです。
 しかし……。

 そう書かねばならないのが辛い。
 樹の周囲を巡っていくと、もう書籍の写真が撮られた頃と同じ姿ではないということを思い知らされます。
 平成24年に突如大枝が折れ、背中側がえぐれたように欠損してしまったのです。

 人間で言えば、肩もろとも腕を失ったに等しいでしょう。
 実物を前にしながらそう思うと、なんだか気が遠くなりそうでした。
 本当に付け根からごっそり行ったようで、枝ではなく、幹が弱ってきているということが察せられました。

 大枝を失ってしまうと、広く腕を広げる樹は重量バランスを失ってしまう。
 側面に回って全体像を見た時、失ったものの大きさを思い知らされました。

 書籍「巨樹・巨木」で導いてくれた故・渡辺典博さんが書いている……

 「今まで多くの巨木たちに会ってきたが、こんなに理想的な形に育った木も珍しい。
  美しさを超えて神々しささえ感じる。まさしく『山の神』である」

 その美しい姿は失われ、今は無数の支えに寄りかかるように生きている……。あまりにも痛々しい。

 巨樹に付けられている解説文の数というのは、その樹の存在がどれだけ危ぶまれているかに比例しているように思います。
 偉人お手植えや魔物が住んでいるという伝説もその一種で、そういった解説をつけることで、その樹がいかに特別なものであるかをアピールして、保護につなげる。
 それが二つ、三つと増えていくのは、樹に何かがあった証拠……そして、このミズナラの周囲は解説文だらけでした。

 この巨樹は「小黒川の大マキ」とも呼ばれていたそうで、古くから神木とされていた。おそらく「真木」と書いたのでしょう。
 根元にあるのは「蚕玉様」。ミズナラは養蚕にも餌として用いることができ、これを豊富にもたらしてくれるありがたい樹だったのでしょう。

 傍のあずまやのようなところに、まるで幹かと見まごう枝の標本と折れた際の写真が展示してありました。
 密に詰まったきめの細かい白い木肌は、すべすべした石のようでした。これが折れてしまったのか……。

 対して、根幹内部はほとんど不朽しているとのこと。
 外科的処置、薬剤、土壌改良、保護、菌を利用した化学的処置まで行われて、絶対安静という状況に見えます。
 薬剤で黒く染まった半身が、もはやなりふり構っていられないのだと周囲に告げているかのようです。

 恐ろしいことに、ミズナラにはキクイムシの脅威まであり、すでに背後の山まで迫っているという……。
 解説文を読み、それがいかに容赦のない、ミズナラ抹殺エイリアンのような存在であると知って背筋が寒くなりました。

 フェロモンで仲間を呼んでマスアタックを仕掛けたあげく、病原菌を呼び込み、幼虫の栄養となる酵母まで発生させて食い尽くす。
 これにかかると、300年生きたこんな樹も、1、2週間で急速に死んでしまうのだという。
 このミズナラの樹皮が妙に茶色いのも、キクイムシ予防のために薬剤まみれになったせいらしい……。

 満身創痍ながら、まだ葉がこんもりと多く、懸命に命をつなごうとしているようにも見えました。
 しかし、おそらく……おそらく、この樹の命は、もうそう長くはない。 
 手当の効果が出るかもしれず、そこに絶対に期待したいはずなのに、こみ上げてくるのは、そういう悲しい想像でした。

 その直接的な原因が人間による開発ではないのが救いですが……
 間接的にはこの樹の、「山の神」の寿命を縮めるような原因を作っているのだろうなと、どうしても胸が痛みました。

 何百年もそこにあった巨樹に、もう明日会えないかもしれない。そういうことが現実にある。
 何百年もそこから動かない存在でありながら、巨樹との出会いというのは一期一会に他ならないのです。

 後年、同じ季節が巡り来て、ふっと思い出します。
 今も立ってくれているとしたら、ミズナラはきっと黄葉しているだろう。
 がんばれ! とも願う。しかし、生きづらい時代かもしれない。
 余生できるだけ健やかに……願わずにいられません。 

「小黒川のミズナラ」
 長野県下伊那郡阿智村清内路
 推定樹齢:300年以上
 樹種:ミズナラ
 樹高:33メートル
 幹周:7.3メートル

 国指定天然記念物
 樹種(ミズナラ)幹周全国1位
 訪問:2017.10

 探訪メモ:
 公共交通ではまず到達不能でしょう。
 標高は1000メートルを超え、10月でも肌寒い。冬は雪深いと思います。
 駐車するスペースは十分ありますが、近年、写真よりも囲いが広くなったようです。

 阿智村清内路のホームページがあり、「自然」コンテンツ中に「小黒川のミズナラ」も掲載されています。
 大枝が倒壊した時の写真も見ることができました。

この巨樹旅の様子は、「2017年・九州~関東 巨樹旅5」でどうぞ。

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