寺の記録では、その布教の際、大椎はすでに大樹であったとのこと。
日蓮上人も、その説法を聞きにきた鎌倉時代の人々も、皆この椎の樹を見たことでしょう。
樹の元に集まったり、木陰で休んだりしていたのかもしれません。
日蓮自身が大量の書物を遺した人であるので、こういった記録には信憑性があると思われます。
もちろん、樹自身を見ていても、その歳月は疑うところがありません。
朽ちたり、折れたりしているところも多いですが、それだけにいっそう凄みを増して感じられました。
竹林のざわめきや鳥の声くらいしか聞こえない寺の静かな空気の中で、威厳の気配を漂わせています。