実際に目の前にすると、こんなに大きいのか! と驚きます。
幹の高さ、傘(笠松は「笠」ですが、こちらは「傘」)状の枝の広がりは想像以上のスケール。見事としか言いようがありません。
さまざまな樹種の巨樹を見て回る中で、どうも脚が重くなってしまうマツ巨樹。
書籍などで写真を見て、「自分も行って見てみたい!」と夢を抱いても、マツノザイセンチュウ(松ノ材線虫。カミキリムシが媒介する病原)の猛威によって、大松、名松のほとんどが枯死してしまっている。
あまりに多い死の報告に、ランキングは毎年のように入れ替わり、「日本一のマツ」の座にせり上がった山形「東法田の大アカマツ」すらも、すでに枯死してしまった……。
急いで訪ねねば! とも思いましたが、いざ行って死期を悟ったような個体を見ると、どうにも悲しくなってしまう。
スギやクスは病害虫を退ける力に長けているからこそ、あれほどの勢力を誇っているのだとも実感されます。
それだけに、2023年現在の「月観の松」のこの立ち姿には、大きな価値があると感じました。
スギやクスの巨樹に感じるのとはまた別種の迫力……一種の緊張感がみなぎっているようでもあります。数百年にも渡って人と密接に関係してきたその由縁、希少化するマツ巨樹としての存在の重さや周囲の責任感をおのずと察するのかもしれません。
4件のコメント
to-fu
美しい樹形のマツですね。これは見ごたえありそうです。
まさに傘!といった枝ぶりがどことなくウラスギ的でもありますが、やはり雪の重みなども影響しているのでしょうか。
マツの巨樹の存在自体が幻のようになりつつありますから、是非とも健康なうちに積極的に見に行きたいです。
この趣味を初めて渡辺サンの巨樹本を読み漁っていた頃、四国に立派なマツが何本もあるということで即座に
マップにチェックを入れて訪問を楽しみにしていたのですが、後に残念ながらそれらが全て枯死していることを知りました。
悲しいことですが、我々が生きている間にマツのランキングはまだまだ大きく入れ替わるかもしれませんね…
(撮影したきりで放置しているマツの巨樹写真も記事にまとめていかないとなあ。)
狛
to-fuさん>
仰る通り。マツの巨樹ほど「逃げる巨樹」もありませんね。
渡辺本を眺めて無邪気に「ここも行く!」とやってたカリスマ的なマツ巨樹のほとんどが、まだ見ぬうちに一生を終えてしまわれました……。
マツの巨樹にはどうしても影が重なって見えてしまい、それも宮城県の海っぺりですから(積雪はそれほど厚くはないようです、でも寒い……)、「笠松」と同じく少々脚が重かったりもしました。
結果として「笠松」「月観の松」にはだいぶほっとさせられましたが、そうですね、他のマツ巨樹も、撮れるうち撮っておきたいものですね。
健在でいてくれさえすれば絵になることは確かですし、撮り甲斐もあります(実際、楽しかった)。
本来大きさでは後回しにしそうな東北のマツ巨樹たちが俄然気になってきました。
RYO-JI
松と言えば、日本人に親しみのある樹種ですよね。
色々な語源の元になっていたり、松竹梅にあらわされる最上級の意味であったりと。
恐らく巨樹に興味が無い人が見てわかる樹木の筆頭が松なんじゃないかと思います。
にも関わらず、有名どころの松を含めて枯死が多いのは非常に残念ですよね。
そんな中でもこの月観の松は『よくぞここまでご無事で・・・』と涙ながらに駆け寄りたくなる存在。
実際本当によくここまで長く生き永らえているなぁと嬉しくなりました。
そして巨樹の魅力は色々ありますが、この月観の松はその上品ともいえるその美しい姿だと感じました。
もちろんその大きさも素晴らしいですが、やっぱり美しさに惚れ惚れしました。
未来日付は何なんでしょうね?
とりあえず教育委員会の年度末にしたのかもしれませんね(笑)。
狛
RYO-JIさん>
スギも日本の固有種とよく言われますが、やはり日本の画としてはマツが欠かせませんね。
今回は逆光と雲一つない青空にやられてしまいましたが、状況次第でかなり目を惹くものがあっただろうな……と想像しながら撮ってました(悔しい)。
常緑だし、雪や雨が似合うところも日本の趣を表していますよね。
マツ巨樹の場合、撮りに行こうと決めてからのリサーチが勇気要りますね。
そこでもし枯死がわかったとしたら、どんな気持ちになるだろうと……想像してしまうと、リサーチの手すら止まってしまいます。
今も健全な「月観の松」は、巨樹愛好家に限らず多くの人に見て頂きたいなあと感じる美しい巨樹でした。
未来日付……なるほど、年度ですかね。
お役所としては、設置工事の正確な日付よりもそっちですね。笑