巨樹たち

新潟県佐渡市「新穂大野の大イチョウ」

佐渡を考古するための大イチョウ

 2015年、思い付きでの佐渡島、観光と巨樹の旅。
 佐渡市街から車で15分あまりの距離にある清水寺を訪問しました。
 「きよみずでら」ではなく、「せいすいじ」だそうですが、中心的な建物である救世殿(ぐぜでん、観音堂)は、文字通り京都の清水寺を模して建造され、見た目そっくりなままダウンサイジングされた感じ。
 本尊は千手観世音菩薩。808年開基という古さを直接感じられるような荘厳な雰囲気が記憶に残っています。

 この清水寺の門のすぐ向かいに、大きなイチョウあり。「新穂大野(にいぼおおの)の大イチョウ」です。
 おそらくは佐渡で最大のイチョウ(環境庁巨樹データベースで佐渡市で800センチを超えるイチョウは1本のみ)。
 暴れずにすっくと立つタイプの樹形で、根元からほとんど太さを変えずに20メートル以上伸びあがっている見事な巨樹です。
 全体にこんもりと葉をつけるところからして、黄葉時期はさぞ見事でしょう。

 お決まりの乳の樹信仰もあるらしいですが、これもお決まりで雄の樹。
 気根(乳柱)はさほど多くないと感じました。

 ここで興味を惹かれたのは1000年という推定樹齢です。
 そもそも巨樹の樹齢は正確にはわからないものなので、1000年! などと威勢よくセールスされがち。
 しかし、イチョウの場合には、「この樹種がいつ頃中国から伝来したのか?」というリミットがある。
 それ以上に風呂敷を広げてもウソがばれるだけというわけですね。 
 考察してみるに……

1:
清水寺の開基は808年とされている。同じく、佐渡の自治は大化の改新以後とされ、8世紀以前に佐渡国が置かれている。
この時期に土地の庶民がイチョウを入手して植えるというケースはほぼないので、お寺側の植樹と見るべき。
すると、最大で1200年という樹齢が計算できることにはなる。

2:
上記踏まえ、「イチョウがいつ日本に移入されたのか?」だが、「科学技術情報発信・流通総合システム」(J-STAGE)に次のような論文がある。

 最近1323年頃(元代前期)中国から博多へ向かう途中、韓国沿岸で沈没した船から引き上げられた遺物の中からギンナンが発見された。
 これは、ギンナンが輸入果実としてわが国に持ち込まれた可能性を強く示唆している。
 輸入が始まった時期を示す資料は発見されていないが、宋代末期の日宋交易にまで遡る可能性はある。
 輸入されたギンナンは室町時代中期(1500年代)までには国内に広まり、その中から木に育つものが出てきたと考えられる。
 したがって、伝来の時期は13世紀から14世紀にかけての100-150年くらいの間であろうと推定される。

 「イチョウの伝来は何時か… 古典資料からの考察…」堀輝三(筑波大学生物科学系)

 1000年も全くありえないわけではないにせよ、だいたい13世紀、つまり、800~700年前程度を樹齢の上限と考えるのが現実的でしょう(中国でも一般に植樹されるようになったのは12世紀とされている)。

 佐渡は島とはいえ古い歴史があり、仏教の信仰レベルも高い土地。
 無闇に若い樹齢を勘繰るのも、それはそれで正しくはないかもしれません。
 清水寺の寂びた空気を浴びてくると、そう考えたくなります。
 「佐渡デスティネーション」的観光旅行に、加えて損のない巨樹と言えますね。

「新穂大野の大イチョウ」
 新潟県佐渡市新穂大野140
 推定樹齢:1000年
 樹種:イチョウ
 樹高:29.5メートル
 幹周:8.2メートル

 市指定天然記念物
 訪問:2015.5

探訪メモ:
 イチョウ自体には駐車場はないので、やはり清水寺参拝とセットで。
 お寺の杉並木や周囲の田園風景、里山の自然も美しい。
 公開されている巨樹ではありますが、個人のお宅のようです。

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