巨樹たち

徳島県板野郡「岡の宮の大クス」

お上を退けた氏子たちの思い

 四国の秘境を巡る巨樹探訪から一転、徐々に日常生活へと戻っていくかのような道のりを辿っています。
 徳島市までもあと2、30キロ、だいぶ市街地も増えてきました。

 板野町には高速道路のICもあるし、高徳線の駅もある。
 駅からみて北西の方向、岡の上の見晴らしの良い分譲地といった感じの住宅地の中に、この旅最後の訪問先となる大クスがありました。
 その名も「岡の宮の大クス」です。

 県指定天然記念物であり、上記したように人眼によく触れる場所にある。行けば、必ず会える。
 しかしながらひとつ書いておかねばならないのは、所在が「岡上神社」だからといって、巨樹が丘の上にあるとは限らないということです。
 さらにわかりづらいのは、神社自体はその名の通り丘の上にあるということ。

 境内が斜面に跨っている神社で、下の鳥居から急な石段を登って拝殿に行く。  
 一度丘の上に行ってしまい、あ、三脚忘れた! ……車移動しなきゃダメか……などと、その都度長い石段を往復。なかなかの汗をかきました。

 神社の正面(丘の下)からのアプローチすれば、大クスにはすぐに会うことができます。
 もはや隠しようもない。というか、クスに隠れて神社が見えない。

 改めて、境内で見た「岡の宮の大クス」。クスの横から奥に石段が続きます。
 幹周囲17メートル超ということですが、はっきりした株立ち。
 お百度をやったらガチガチのアスリートになれそうな石段を少し登れば、ぐるりと全方位から観察できます。
 4本にも5本にも見える太い幹が林立していますが、元をたどっていくと3本となるようです。

 一番太い幹の目通り幹周は7メートル近いらしい(一番外側に傾斜した幹か?)。その他も負けじと太いです。
 このような場合の幹周は、束として測るわけではなく、それぞれ測った数値の和とされています。
 5メートルから7メートルのもの3本で、だいたい17メートルオーバー。納得です。

 根元のレベルでは完全に合体してしまっている。
 太い幹それぞれを支えるために一致団結しているようにも見えます。
 巨大なタコが吸い付いているようにも見え、クスの成長力の旺盛さと柔軟さが感じられます。

 何本もクスを見る旅でしたが、その中でも一番いきいきとしたクスだったと思います。
 ノキシノブなどの着生植物も、この場合、景色の生命感を高めていると感じました。

 日が高くなり、ただでさえ石段を無駄に往復して汗まみれ。
 クスの木陰というのは本当に涼しい。葉がさらさら鳴る音も、確実に体感温度を下げるのに一役買ってくれます。
 ここまで茂っているのに、薄暗くならないんですよね。これがスダジイの木陰だったら、全く印象は違うでしょうね。笑

 解説文。
 枝張りは南北方向に約40メートル近くある。
 単独の幹ではないがゆえに、無理なく支えているのかもしれません。

 江戸時代に、船の材料として差し出せと迫られたが、氏子が必死に守り通したという話が書かれています。
 巨樹を巡っているとたまに同様のエピソードに出会いますが、さぞ苦難だったことでしょう。

 幕府が造船する、しかも安宅お目付とあるので、軍船である「安宅船」を作るとして求められたのかもしれません。
 時代はちょっと遡りますが、徳川は寛永11年(1634年)に安宅丸という巨大な軍艦を作っており、これが廃船になった際、解体された材は家屋用などに下ろされたらしいです。
 ところが、材木として使ってみると、夜な夜な変な声や音を立て、しまいには「帰りたい……」とすすり泣き始めたとか……。
 クスは古来から造船に用いられる樹種。
 有名な静岡県「阿豆佐和気神社の大クス(來宮神社の大クス)」にも海とクスにまつわる伝説が見られます。
 もしかすると、日本各地の霊力ある御神木が伐られて使われていたかもしれませんね。

 ……と、ここで、大型台風で欠航かもと危ぶまれたフェリーが、どうやら遅れて動くとの連絡が。
 この樹をラストに港へ向かうことになりました。

 街中にこんな大クスがあるなんて……きっとまた来る、来ないわけにはいかない。
 そう思いつつ、四国を後にしたのでした。

「岡の宮の大クス」
 徳島県板野郡板野町大寺  
 岡上神社
 推定樹齢:700年
 樹種:クス
 樹高:35メートル
 幹周:17.7メートル

 県指定天然記念物
 訪問:2019.5

 探訪メモ:
 上述の通り、岡上神社を目標にすると頂上に辿りついてしまい、クスからは遠くなります。
 岡の上、下、どちらにせよ駐車スペースはほぼなく、路肩に寄せて気にしつつ……という感じになります。ご注意を。

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