巨樹たち

福島県南相馬市「泉の一葉マツ」

名松、歴史に溶けゆく

 「浜通り」「中通り」「会津」の三つに大分される福島県、その「浜通り」で巨樹を巡っています。
 津波に呑まれてなお生きるタブノキたち「北右田の屋敷林」から6~7キロほど南下、南相馬市原町に。
 水田地帯のカーブにぽつんと、「泉の一葉マツ」が立っています。

 思い切って歩を進めてきて良かった。それが第一印象。
 一目でそれとわかるとともに、このマツがだいぶ弱ってきている事実まで、遠目にも感知できてしまったからです。
 各種資料写真よりも、だいぶ葉が少なく、枯れ枝も目立つ。
 これ以上訪問を遅らせていたら、その時はもう失われていたかもしれない。
 辛いことですが、そんな思いが湧いてきました。

 ともかく、今も立っているこの姿をありがたく観させてもらいます。
 目通りで幹周2.5メートルと、実際のところ巨樹の基準を超えてはいず、「名松」と呼ぶ方が適当でしょうか。
 マツ巨樹の枯死に歯止めがかからない現状、近いうちに幹周3メートルを超える個体はなくなってしまうのではないか……そんな心配もあります。
 太さをさほど変えずにうねって立ち上がる姿に、数値以上の迫力を感じられる。マツ特有の良さです。

 通常二本セットで付くのが普通である針葉に、時折一本のものが混じるから「一葉マツ」という。
 葉を検分できる距離まで近づけなかったので、なるほどそうなのね、程度ですが。

 「弁慶マツ」という別名もある。
 県のWEBサイト「うつくしま電子事典」によれば、

 「今は枯れてなくなりましたが、源義経(みなもとのよしつね)が奥州(おうしゅう)に逃げてきたとき、泉の長者(ちょうじゃ)【大金持ち】のことを聞き、後々のわざわいとならないよう、部下の弁慶(べんけい)に命令し屋敷(やしき)に火を放ったといいます。
 この時、弁慶が松に腰(こし)をかけ燃える屋敷をながめていたことから「弁慶の腰掛松(こしかけまつ)」ともよばれたマツがありました。」

 ……ん? 「弁慶マツ」は(大正時代に)失われたもう一本の松の呼称なのか。
 この辺り、現地解説とややブレがあるように思います。

 ちなみに弁慶が衣川(岩手県)で有名な立ち往生を遂げたとされるのが1189年。
 一葉マツの樹齢を400年とするなら、「別の松があった」とするのは冷静な判断だと言えます。

 一葉マツの傍らのコンクリート橋もかなり古そう。

 樹勢面で何より心配なのは、ボロボロに腐朽している根本部。
 これを見てしまうと、いつ倒壊してもおかしくないだろうと悲しくなってきます。

 福島県で県指定天然記念物になっているマツは、他に「天屋の束松」「無能寺の笠マツ」の計3本のみで、そのどれもがいわゆる巨樹という大きさではない。
 庭園的な管理を受ける「無能寺の笠マツ」は健在のようですが、「群」であった「天屋の束松」は次々に枯れていっている。
 解説板に一葉マツと「似た形態」と挙げられた滋賀県「唐崎の松」も、Googlemapに寄せられた写真を見ると、同等程度に弱ってきている。シビアな現実です。

 住友林業の研究所が松ぼっくりから種子を発芽させることに成功したそうで、「泉の一葉マツ」には後継ぎがある。
 それが名松に育つまでにはまた数百年が必要ですが、日本の風景を形作るこの松という樹種を、
未来の時代まで大切に育んで欲しいものだと思いました。
 ともかくは、今回、立っている姿を見られて良かったです。

「泉の一葉マツ」
 福島県南相馬市原町区泉町池
 推定樹齢:400年
 樹種:クロマツ
 樹高:8メートル
 幹周:2.5メートル

 県指定天然記念物
 訪問:2025.1

探訪メモ:
 道路対岸に2~3台停められる駐車場があります。

 3.11の際には津波で冠水、すぐ近くにテトラポッドが打ち上げられたそうです。
 地域のシンボルとして一日でも長く姿を見られるように願っています。

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