巨樹たち 宮城県本吉郡南三陸町「太郎坊の杉」 / 4 コメント その灯台の火は消えていない 宮城県本吉郡、南三陸町。 大津波から13年、かさ上げされた土地や防潮堤と同時に目に入って来る複雑な海岸線は、今は凪いで美しい。 今回の巨樹は、そんな風景の真っただ中に立っていました。 とにかく海に近い。 海から道路一本のみを隔て、一段高台に上っていくと、すぐに気になる姿が目に入ってきます。 しかし……枯れている? 甘めの事前リサーチでも枯死報告を読んだ記憶はなかったのですが……。 とげとげしく、立ったまま葬られた巨大な骸骨のようなあれは、別のスギなのか? まあ、実物があるんですから、しっかり自分の目で確認しにいきましょう。 探訪時、神社前の土地は再開発のような土木工事中でした。 これほど近いのに、神社に近づけば近づくほど、さっきの大杉らしき姿は見えなくなる。 まずは荒澤神社に挨拶させて頂く。 どうやらあの樹が立っているのは拝殿の後方らしく、それがあんな風に見えるとは、枯れてなお相当な大きさには違いない。 気配に誘われて左手奥をソロリと覗くと、思わず短く声が漏れるこの眺め。 立ちはだかる幹の大きさとともに、手狭な立地にもちょっと驚かされました。 県指定天然記念物、「太郎坊の杉」。 見事な直幹形状で、幹周7.7メートルとされています。 おや、と思うのは、やはり初見で認識したあの骸骨のような姿ですが、あれも間違いなく「太郎坊の杉」の一側面。 しかし、間近で見上げてみて、神社側の半身にはまだ枝の茂りが残っていることが確認できました。 「真っ二つ」と言っていいくらい、ちょうど半々で、この巨樹は生きているのでした。 これほど大きく、なおかつ海に近い巨樹だとは。 即座に思い出したのは岩手県大船渡市「三陸大王杉」です。両者はきっと、そっくりな歴史を生きてきたことでしょう。 「海へ出た漁船が神社の大杉を目印にして戻ってくる」という逸話がありますが、まぎれもなくそんな巨杉だったろうな、と。 大杉から向こう側が崖のようになっており、サラサラと沢の流れの音が聞こえます。 この地形、この沢の存在が、大杉と切っても切れない関係にある……。 この沢を登って行くと滝があるらしく、伝承によれば、13世紀頃、文覚(もんがく)上人が滝不動を祀る修験の寺を開いたのだそうです。 平家物語では、文覚が荒行を行った末に落命、不動明王の童子の顕現を受けたのは熊野の那智の滝だとされており、同様の伝承が山伏たちによって全国に広がったようです。 「太郎坊の杉」(このネーミング自体どこか天狗っぽい)の推定樹齢が800年とされるのは、おそらくそこに根拠があるとみて良いと思います。 また、文覚に関連する伝承を持つ巨杉には、岐阜県「加子母の杉」もあります。 仙台藩の庇護を受けた時代には、同齢くらいのスギがたくさん生えていたらしく、仙台城築城や橋の材料として多くが切り出され、「太郎坊」と「次郎坊」のみが神木として遺された。 その後、明治の神仏分離で神社化された姿が、つまり現「荒澤神社」ということです。 高さ45メートルを誇ったという「次郎坊のスギ」は、惜しくも昭和33年の台風で倒壊してしまったそう。 あの白骨化した姿に、一瞬だけ亡き次郎坊のイメージが重なったようにも感じました。 そして、その直後に思い返したのは、他でもない大津波のこと。 この海の近さ……大津波が沢を遡上しなかったわけがなかろう、と。 帰宅後に調べ、案の定、荒澤神社境内まで波が押し寄せたと読めました。 流出は免れたものの、「太郎坊の杉」と社叢を重度の塩害に苛んだ。 鳥居近くにもあった立派なスギの切株も、塩害のために切られたもののようでした。 「太郎坊の杉」のこの13年間は、半々で拮抗する生死のせめぎ合いだった……それがまざまざ表れた姿なのだと言えるでしょう。 実物を間近で見られて良かったと思います。 あの白骨化した姿に似つかわしくなく、樹皮には水気や油気も感じ、「この樹はこれからも生きていくつもりなのだ」と確かめられたような気もします。 しめ縄に網のようなものが結び付けられているところ、いかにもこの南三陸の神木です。 鳥居をくぐって出てくると、まぶしく光る海岸風景が視界いっぱいに広がる。本当にのどかで美しい。 ああいう大災害は二度と起きて欲しくないものだと願いつつ、地水火風は止まることなく常に動き続けている。 だからこそ巨樹も我々も生きている。いつか必ず終わりはやってくるが、それまでの間、我々もまた、止めどなく移ろい続けるのだ。 ……そんなことを思い浮かべました。 「太郎坊の杉」 宮城県本吉郡南三陸町志津川袖浜56 荒澤神社 推定樹齢:800年 樹種:スギ 樹高:38メートル 幹周:7.7メートル 県指定天然記念物 訪問:2024.10 探訪メモ: 神社直近に駐車場はありませんが、海沿いの道路脇には網干場らしき空き地があります。お仕事時以外は解放されている模様。 海風が気持ちいい公園と、その駐車場もあり、歩いて神社に向かうのも気持ちよい場所です。 関連
to-fu 2024年10月19日 at 2:31 PM 返信 冒頭の写真から8~8.5mくらいか?と予想しましたが、そう遠くない数字でした。 やはり真横に立ってのヒューマンスケール写真があるとサイズ感の伝わり方が段違いですね。 白骨化した大杉もインパクトがあって、ついぐぐっと見入ってしまいました。この方が次郎坊の杉であってほしい。 ほとんど目の前に海が広がる大杉。記憶を辿ってみましたがちょっと思い浮かびませんでした。クスならいっぱいあるんですけど。 地中の水もかなりの塩分を含んでいるはずなので、この地でこれほどまでの大きさに育ったこと自体が奇跡に思えます。 実に南三陸らしい一本で、この杉をチョイスされた狛さんもやはり流石だなと 笑 しかしあれほどの災害があったにもかかわらず何事もなかったかのように浮かぶ漁船。 タイマンなら猫にも負けると言われる人間もなかなかしぶとい、たくましい生物ですね。 都市部の人はそんな土地さっさと捨てて都会に引っ越さない奴が悪いと言わんばかりの論調で語りますが、先祖代々住み続ける土地を、余命幾ばくかの老人が離れるということは言うほど簡単なことじゃないだろうに。たとえ災害で命を落とすことになろうとも、この地で一生を終えたい。そんな気持ちも尊重されるべきだと思います。
狛 2024年10月19日 at 8:24 PM 返信 to-fuさん いくつか見つけた写真では、やはり必ず根本部分が選ばれているので、にわかにこの立ち枯れた姿が同一のスギだとは信じられず。 鳥居前の時点では、ははあ、これが次郎坊だなと早合点し、別に「太郎坊の杉」を探そうとしてしまいました。 「幹周に対する海への近さ」という値ではかなり上位にくるぜ……と踏んでワクワクしましたが、直後にto-fuさんが撮っていた四国の港町のクスたちがよぎっていきましたね。 スギでそのランキングだったら「太郎坊の杉」は上位確実だと思います。その証拠のように津波の洗礼を受けたんだな、と。 大災害があってなお、その土地に住み続ける。その地の人の心の強さはどこから湧いてくるんだろう…… と、外地の人間は考え込んでしまいますが、この南三陸の海の気持ち良さ、風景の良さ、食べ物のうまさなどを体感すると、じわっと内側から理解が湧いてくるかのようです。 半死半生になりつつも立ち続けているこの大杉の生きざまがまた、とてもシンボリックなものだったとも感じますね。 海や大地は憎むべき相手ではないし、自分のルーツと呼べる地を離れたくないのは誰だってそうだろうと。 能登に関しても、まだこれから未来があると重ねて考えたくなる光景がありました。
RYO-JI 2024年10月19日 at 8:59 PM 返信 太郎に次郎?昭和的なネーミングでほっこりしましたが、その生い立ちを知るとほっこりなんかしてられませんね。 それでも令和の今の感覚でもっても案外良いネーミングだったんじゃないかと思いました。 大樹の側に沢があるのは『なるほどなぁ』とわかった風におおいに納得してしまいます。 台風にやられた次郎さんに塩害にあった太郎さん、やはり巨樹は自然災害との戦いですね。 昔は建造物の材料に切り出す人間が敵だったでしょうが。 半分白骨化してても半分は生きようとしている様には感動すら覚えますね。 帰宅後も調査を続ける狛さんの姿勢にも刺激を受けました。
狛 2024年10月20日 at 5:14 PM 返信 RYO-JIさん 確かに、「太郎・次郎」なんて名前、めっきり聞かなくなったせいか、妙にノスタルジックな安心感があります。 次郎と聞いたら太郎がいるという暗示になっているし、太郎&次郎のタッグ力も結構強そう。 それだけに「次郎坊の杉」が倒壊してしまったのは残念です。いや、もちろん爺婆杉や夫婦杉でも同じ悲しみがあるのですけれども。 伊達藩の用材として周囲が切られた時、このスギはどれくらいの大きさだったものでしょうね。 ひときわ大きかったから神木としてふさわしいと残されたのか? だとすれば推定800年にもリアリティがあるかも。 次郎坊が倒れた時、年輪を数えていてもらえれば……いや、推定800年はむしろ次郎の年輪数を元にはじき出された数値か?? 屈強な生きざまだけでも相当なものですが、解説板などにその辺のリアリティが記されていると、巨樹ファンはさらに大興奮ですよね。笑
4件のコメント
to-fu
冒頭の写真から8~8.5mくらいか?と予想しましたが、そう遠くない数字でした。
やはり真横に立ってのヒューマンスケール写真があるとサイズ感の伝わり方が段違いですね。
白骨化した大杉もインパクトがあって、ついぐぐっと見入ってしまいました。この方が次郎坊の杉であってほしい。
ほとんど目の前に海が広がる大杉。記憶を辿ってみましたがちょっと思い浮かびませんでした。クスならいっぱいあるんですけど。
地中の水もかなりの塩分を含んでいるはずなので、この地でこれほどまでの大きさに育ったこと自体が奇跡に思えます。
実に南三陸らしい一本で、この杉をチョイスされた狛さんもやはり流石だなと 笑
しかしあれほどの災害があったにもかかわらず何事もなかったかのように浮かぶ漁船。
タイマンなら猫にも負けると言われる人間もなかなかしぶとい、たくましい生物ですね。
都市部の人はそんな土地さっさと捨てて都会に引っ越さない奴が悪いと言わんばかりの論調で語りますが、先祖代々住み続ける土地を、余命幾ばくかの老人が離れるということは言うほど簡単なことじゃないだろうに。たとえ災害で命を落とすことになろうとも、この地で一生を終えたい。そんな気持ちも尊重されるべきだと思います。
狛
to-fuさん
いくつか見つけた写真では、やはり必ず根本部分が選ばれているので、にわかにこの立ち枯れた姿が同一のスギだとは信じられず。
鳥居前の時点では、ははあ、これが次郎坊だなと早合点し、別に「太郎坊の杉」を探そうとしてしまいました。
「幹周に対する海への近さ」という値ではかなり上位にくるぜ……と踏んでワクワクしましたが、直後にto-fuさんが撮っていた四国の港町のクスたちがよぎっていきましたね。
スギでそのランキングだったら「太郎坊の杉」は上位確実だと思います。その証拠のように津波の洗礼を受けたんだな、と。
大災害があってなお、その土地に住み続ける。その地の人の心の強さはどこから湧いてくるんだろう……
と、外地の人間は考え込んでしまいますが、この南三陸の海の気持ち良さ、風景の良さ、食べ物のうまさなどを体感すると、じわっと内側から理解が湧いてくるかのようです。
半死半生になりつつも立ち続けているこの大杉の生きざまがまた、とてもシンボリックなものだったとも感じますね。
海や大地は憎むべき相手ではないし、自分のルーツと呼べる地を離れたくないのは誰だってそうだろうと。
能登に関しても、まだこれから未来があると重ねて考えたくなる光景がありました。
RYO-JI
太郎に次郎?昭和的なネーミングでほっこりしましたが、その生い立ちを知るとほっこりなんかしてられませんね。
それでも令和の今の感覚でもっても案外良いネーミングだったんじゃないかと思いました。
大樹の側に沢があるのは『なるほどなぁ』とわかった風におおいに納得してしまいます。
台風にやられた次郎さんに塩害にあった太郎さん、やはり巨樹は自然災害との戦いですね。
昔は建造物の材料に切り出す人間が敵だったでしょうが。
半分白骨化してても半分は生きようとしている様には感動すら覚えますね。
帰宅後も調査を続ける狛さんの姿勢にも刺激を受けました。
狛
RYO-JIさん
確かに、「太郎・次郎」なんて名前、めっきり聞かなくなったせいか、妙にノスタルジックな安心感があります。
次郎と聞いたら太郎がいるという暗示になっているし、太郎&次郎のタッグ力も結構強そう。
それだけに「次郎坊の杉」が倒壊してしまったのは残念です。いや、もちろん爺婆杉や夫婦杉でも同じ悲しみがあるのですけれども。
伊達藩の用材として周囲が切られた時、このスギはどれくらいの大きさだったものでしょうね。
ひときわ大きかったから神木としてふさわしいと残されたのか? だとすれば推定800年にもリアリティがあるかも。
次郎坊が倒れた時、年輪を数えていてもらえれば……いや、推定800年はむしろ次郎の年輪数を元にはじき出された数値か??
屈強な生きざまだけでも相当なものですが、解説板などにその辺のリアリティが記されていると、巨樹ファンはさらに大興奮ですよね。笑