巨樹たち

宮城県登米市「上沼八幡神社の姥杉」

八幡太郎義家手植えの杉

 2020.11 追記
 姥杉について、上沼八幡神社の禰宜であられる白旗様よりコメントを頂きました。ありがとうございます。
 転載・追加編集させて頂きました。

 宮城県登米市内を北上。 
 あと2、3キロも行けば岩手……というところで踏みとどまりました。
 日も傾きかけた時分、巨樹を擁するという八幡神社に到着。
 今年は暖冬だとは言え、さすがに空気が冷たさを帯びている。
 源義家お手植え伝説が残る「上沼八幡神社の姥杉」を見ます。

 八幡神社自体は全国各地に数多くあり、登米市にもいくつかあります。
 その中、今回目指すのは上記の通り「上沼八幡神社」。

 丘陵地を登っていきますが、この一帯にも「八幡山」という地名がついている。
 途中、道が細くなり、りんご農園などもある。

 人の気配が乏しいので若干辺鄙な印象を受けますが、突如、どーんと大きな赤い鳥居が現れます。
 高台に位置する八幡神社はゆったりと敷地が広く、社叢にも大きな樹が数多い。
 いかにも初詣が賑わいそうな、風格ある神社です。

 門の内側に、ありありと「姥杉」の名が。
 ここへ来たら姥杉を拝まずには始まらないということのようです。

 まずはお詣りを。
 全国にある八幡宮・八幡神社ですが、八幡神がどんな神様か(あるいは何にご利益があるか)ピンときません。

 応神天皇が神霊化した神とされているようで、神仏習合に積極的(仏教寺院の守護神という立場らしい)なため、仏教伝播とともに全国各地に広がったようです。
 「やはた」「やわた」と読むのが本来らしく、「はちまん」と読むのは神仏習合後に「八幡大菩薩」という扱いを受けた影響のようです。

 すでに視界に入っていますが、姥杉は計2本あるとのことです。
 まず、拝殿のすぐ横にあるこちらの杉が「男杉」と呼ばれる杉で、目通り5.6メートル。
 姥杉という名なのに男杉とはこれいかに? 
 年寄りで、神の側に仕えているというようなイメージでしょうか。

 この杉自体は男杉と命名されるのもいかにもな、荒々しさを感じる風貌です。裏杉の野生ともまた違う。
 植えられて以降、御神木として欠かさず手入れされてきたものでしょう。

 もう一方の姥杉は、社殿の裏にあります。こちらは対の「女杉」という名で、幹周囲は目通り6メートル。

 男杉、女杉ともに杉の御神木としては並ほどのサイズに止まります。
 この巨樹の前に訪ねた「日根牛の大クリ」が奇遇にも「男杉」と同じ幹周囲5.6メートルでした。

 根元だけ撮ると個性が伝わりませんが、こちら(女杉)は、なかなか印象的な見た目をしていました。

 まるで巨大な掌のよう。しかも幅のわりに指?が長く、どこかしなを作っているように見える。
 女杉。なるほどなあ、と思います。

 樹皮がきめ細かい。
 先ほどの男杉と比べて樹齢が若いのかもしれませんが、対比させることでよりジェンダー差が面白く感じられます。
 立地が隣同士ではないせいで、「夫婦杉」と呼び辛かったかもしれません。
 西国では「夫婦」、東国では「姥翁(爺婆)」が多いという一説も、実に興味深いです。

 呼称については、巨樹になるにつれて「男」「女」杉から、「姥杉」という名に転化したようです。 

 女杉の樹上部。勢いがあります。
 やはりこちらの方が若さを感じます。枝折れや、やや衰えのある男杉と比べると、こちらの方が生育に安定感がありました。

 解説板。男杉の横にあります。
 まず、よく聞く「八幡太郎」は源義家の幼名。山城国(現京都木津川市)の石清水八幡宮で元服したことからそう命名されたとのこと。
 源義家は、源頼朝(後に鎌倉幕府を開いた)と足利尊氏(室町幕府を開いた)などの祖先に当たる武将です。
 ゆえに謂れが多く、巨樹を追ってもあちこちで名を見かけます。

 その義家お手植えの伝承から、姥杉は樹齢950年余とされているようですが、さすがにそれはオーバーです。
 特に女杉の方は若いと思いますし、素人目には3、400年くらいでは? と測ります。

 両方お手植えだとすると、なぜこのような離れた場所に植えたか、ちょっと不可解。
 福島の「諏訪神社の翁スギ媼スギ」も朝廷(藤原氏)の戦勝祈念ですが、ものすごくビシッと隣接して植えられていた。

 と、つまらない理屈を述べますが……この解説文、良いと思いました。
 姥杉保護の詳細が包み隠さず書かれている。処置の詳細な方法、費用額まで記されているのは珍しいです。
 この巨樹たちをこれだけ大切に思って、行動する方々がいるという証拠ですね。
 「幹周囲6メートル台の杉の樹勢回復処置、2本で1100万円」。
 以後、巨樹の保護に関するさまざまな重みがより具体的に想像できるようにも思われました。

 補記:
 上記、樹齢などにおいては訪問時の(個人的)印象と考察で構成しています。

 その上で、神社様よりいただいた有意義な情報も転載させて頂きます。
 対比としてぜひお読みください。

・姥杉2本は、江戸中期(約250年前)の仙台藩の村勢要覧「風土記御用書上」にすでに男杉、女杉とも廻一丈五尺(約4.5メートル)と記録されている。
(この記述は解説板でも読めます。この記録によれば、まず樹齢300年程度に止まるということはないはず)

・保護治療時の樹木医の見解によれば、石灰岩からなる現地(八幡山)の地質や環境がスギの生育をかなり遅らせる要因となる。
 ために、実際の見た目通りでなく、1000年近い樹齢があると判断することができる。

・治療時、女杉の方が重症で衰えており、治療成果により現在は若く見えるまでに回復している。

 歴史記録と科学的見解双方からのアプローチがあり、大変興味深いお話でした。
 ありがとうございます。

 上記の姥杉の他に、逞しい樹々で構成された社叢が天然記念物指定されています。
 神の近くに身を置いて心を改めたり、しっかり祈念して物事を始めたり。そういう時に来てみたい。
 適度な緊張感を保った、しっかりとした神社だと感じました。
 そう、そこにはやはり芯としての御神木があってほしい。心の拠り所として。

「上沼八幡神社の姥杉」
宮城県登米市中田町
上沼八幡山51 上沼八幡神社
推定樹齢:300年以上
樹種:スギ
樹高:25メートル/28メートル(男杉/女杉)
幹周:5.6メートル/6メートル(男杉/女杉)

市指定天然記念物
訪問:2020.2

 探訪メモ:
 立派な神社で、敷地も広く、年末年始などのシーズンには混み合うのだと思います。
 そのため、駐車スペースも広く、オフシーズンにおいては困ることはないはずです。

2件のコメント

  • 白旗崇敬

    上沼八幡神社禰宜の白旗と申します。ご参拝、姥杉の記事ありがとうございました。
    江戸中期の仙台藩の村勢要覧「風土記御用書上」には、男杉、女杉とも廻一丈五尺と書かれてあります。約250年前の記録です。つまりその頃にはどちらも同じサイズで、すでに4.5mの幹周りであったことが判ります。300〜400年の推定樹齢は当たらないことになります。
    樹木の生長は環境に大きく左右されます。周囲の変化にもかなり影響されます。保護治療の際に樹木医に色々訊ねてみましたが、ここ八幡山は地質的に杉の生育環境としては過酷だとのことです。石灰岩の山ですから。かなりゆっくりとした生長スピードに鑑み、1000年近い樹齢とみるのが妥当だとのことです。
    なお、呼び名の変化はその後女杉のほうがたまたま太くなったため女杉とは言いづらくなったことからではないかと思われます。
    また治療当時、見た目からは想像できませんが樹勢が若く見える女杉のほうが衰えが激しく、重症だったそうです。
    以上ご参考までに。

    • 白旗崇敬様>
      この度は詳細な解説を頂きまして、誠に恐縮です。
      文中にも書かせて頂きましたが、場内解説板がとても資料的に価値ある内容で、メモを取るような気持ちで読んだのを覚えています。
      今回ご指摘いただいた事項についても、さらに興味深いものでした。
      訪問させて頂いた感触からも、例えば土壌の様子など、「確かに」と頷ける点がありました。

      各地の巨樹を回ってみると、驚くほど無数の「千年杉」があることに気づきます。
      「1000年」、キリよく耳ざわりも良いせいがあってかもしれませんが、実際は途方もない歳月です。
      幾度もの歴史・文化の転換をも含み、長寿を誇るスギといえど、そう多くの個体が生き残れるものではないはずです。
      上沼八幡神社様のように、歴史的な記録と科学的な観点の両方をもって樹齢を裏付けられるケースはとても貴重だと感じました。

      続けて読まれる方にも伝わればと願いつつ、本文中にもこの内容を転載・編集をさせていただきます。
      巨樹に関する有意義な体験、重ねて感謝致します。ありがとうございます。

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