補記:
上記、樹齢などにおいては訪問時の(個人的)印象と考察で構成しています。
その上で、神社様よりいただいた有意義な情報も転載させて頂きます。
対比としてぜひお読みください。
・姥杉2本は、江戸中期(約250年前)の仙台藩の村勢要覧「風土記御用書上」にすでに男杉、女杉とも廻一丈五尺(約4.5メートル)と記録されている。
(この記述は解説板でも読めます。この記録によれば、まず樹齢300年程度に止まるということはないはず)
・保護治療時の樹木医の見解によれば、石灰岩からなる現地(八幡山)の地質や環境がスギの生育をかなり遅らせる要因となる。
ために、実際の見た目通りでなく、1000年近い樹齢があると判断することができる。
・治療時、女杉の方が重症で衰えており、治療成果により現在は若く見えるまでに回復している。
歴史記録と科学的見解双方からのアプローチがあり、大変興味深いお話でした。
ありがとうございます。
2件のコメント
白旗崇敬
上沼八幡神社禰宜の白旗と申します。ご参拝、姥杉の記事ありがとうございました。
江戸中期の仙台藩の村勢要覧「風土記御用書上」には、男杉、女杉とも廻一丈五尺と書かれてあります。約250年前の記録です。つまりその頃にはどちらも同じサイズで、すでに4.5mの幹周りであったことが判ります。300〜400年の推定樹齢は当たらないことになります。
樹木の生長は環境に大きく左右されます。周囲の変化にもかなり影響されます。保護治療の際に樹木医に色々訊ねてみましたが、ここ八幡山は地質的に杉の生育環境としては過酷だとのことです。石灰岩の山ですから。かなりゆっくりとした生長スピードに鑑み、1000年近い樹齢とみるのが妥当だとのことです。
なお、呼び名の変化はその後女杉のほうがたまたま太くなったため女杉とは言いづらくなったことからではないかと思われます。
また治療当時、見た目からは想像できませんが樹勢が若く見える女杉のほうが衰えが激しく、重症だったそうです。
以上ご参考までに。
狛
白旗崇敬様>
この度は詳細な解説を頂きまして、誠に恐縮です。
文中にも書かせて頂きましたが、場内解説板がとても資料的に価値ある内容で、メモを取るような気持ちで読んだのを覚えています。
今回ご指摘いただいた事項についても、さらに興味深いものでした。
訪問させて頂いた感触からも、例えば土壌の様子など、「確かに」と頷ける点がありました。
各地の巨樹を回ってみると、驚くほど無数の「千年杉」があることに気づきます。
「1000年」、キリよく耳ざわりも良いせいがあってかもしれませんが、実際は途方もない歳月です。
幾度もの歴史・文化の転換をも含み、長寿を誇るスギといえど、そう多くの個体が生き残れるものではないはずです。
上沼八幡神社様のように、歴史的な記録と科学的な観点の両方をもって樹齢を裏付けられるケースはとても貴重だと感じました。
続けて読まれる方にも伝わればと願いつつ、本文中にもこの内容を転載・編集をさせていただきます。
巨樹に関する有意義な体験、重ねて感謝致します。ありがとうございます。